武家屋敷通り1(島原市)  F5

 

島原武家屋敷通りです。両側はほぼ同じ高さの石垣塀が連なり、数軒の茅葺き保存屋敷の他は建替えられ人が住んでいます。通路は未舗装のまま中央には石組の水路があり清水が流れています。往時は飲料水などの生活用水として利用され、水奉行を置いて厳しく管理されていたそうです。

 

 

 

武家屋敷通り2    F5

 

武家屋敷通りには茅葺き住宅が3軒ほど修復保存され、屋敷内が一般公開されています。この絵の右側に見えるのはその中の1軒鳥田家住宅です。家の中に入ってみると意外に狭く、当時の中下級武士の暮らし向きは非常に質素であったことが窺えます。通り沿いの殆どの住宅は建替えられて人が住んでいますが、門や石垣は往時のままの形態を保っております。道路はきれいに清掃されて塵ひとつ落ちていないことからも、町の人達が普段保存管理に力を注いでいることがよく分ります。

 

 

島原駅構内    F4

 

島原鉄道島原駅下りホームからの景観です。お城のようなユニークな駅舎です。2008年4月から島原鉄道の南島原駅と終点の加津佐駅間が廃線になりました。その前年でしたが、廃線前の島原鉄道と路線バスを利用して島原半島を一周したことがあります。ローカル色豊かな1両編成の気動車に揺られながら、まだ火砕流の爪痕が残る雲仙普賢岳の景観など車窓からの眺めをよく憶えておあります。口之津で乗換えた路線バスから見た西海岸の景色が素晴らしく、その後も富津漁港や京泊漁港をスケッチのために再訪したことがあります。赤字路線だったとはいえ、島原鉄道がこの島原駅の一つ先の島原外港駅止まりになったのは非常に残念です。

 

 

 

江迎本陣跡 (佐世保市)   F4

 

平戸と佐賀を結ぶ平戸往還の宿場町、江迎宿の本陣跡です。平戸藩松浦家の本陣であった山下家です。山下家は江戸時代から潜滝酒造を併営しており今は蔵元が本業です。本陣跡には御成門、御成の間、庭園などの遺構が往時のまま保存されているそうです。