52.鵜沼宿 (岐阜県各務原市) JR高山本線鵜沼駅、名鉄各務原線新鵜沼駅・鵜沼宿駅より徒歩10分

 

 

鵜沼宿       F4

 

岐阜城から移設したという城門から見た旧旅籠絹屋跡。現在は各務原市の歴史民族資料館「中山道鵜沼宿町屋館」です。鵜沼宿はこのあたりから西に修復された町屋が連なり、旧街道の面影が感じられます。この日は生憎宿場中心部が道路工事中で、赤い標識や工事車が数百メートルに亘り路上を占拠していました。上の絵のすぐ左(西)から工事中でしたが、このようなアングルだと全く分かりません。しかし城門から町屋というのも何だか変ですが・・・。いわゆる額縁画ですが、あまり考えなくて済むので好きな構図の一つです。

 

 

 

犬山城天守閣     F4

 

本丸門を入って初めて目にする犬山城天守閣です。天文6年(1537)、織田信康(織田信長の叔父)により建造.。戦国時代には次々と城主が代わります。小牧長久手合戦(1584年)の時には豊臣秀吉も入城、小牧城に陣を敷いた徳川家康と対峙します。木曽川左岸の崖上にあり、難攻不落の名城として、織田、豊臣、徳川の三代を生き延びました。国宝四城(犬山城、彦根城、姫路城、松本城)の中では最も古い城です。小さな天守閣ですが、簡素な中にも風雪に耐えてきた凛然とした風格を感じました。明治時代の廃藩置県により廃城となった城が次々と取り壊され、「富国強兵」の名のもと陸軍練兵場などに変貌してゆきます。犬山城も櫓や城門など殆どの建物は取り壊され、天守閣だけが残ったそうです。国策とはいえ人為的に壊したのですから、今から思えば何とも馬鹿なことをしたものです。全国各地の城がそのまま今も残っていたら・・・、国宝犬山城を見てそんなことを思いました。鵜沼宿から木曽川対岸の山上に天守閣が良く見えるため掲載しました。

 

犬山城下町     F4

 

犬山城の南に伸びる本町通りの町並みです。古い町家なども残っていますが、宿場町とは違ったどこか華やいだ雰囲気がありました。名古屋の近郊観光地として賑わってきたからかも知れません。先日訪れた岩村城下町もそうでしたが、宿場町とはどこか違うようです。今回訪ねた御嵩、伏見、太田、鵜沼、加納、河渡、美江寺の7宿場は濃尾地震や戦災により壊滅的な被害を被ったところばかりなので、犬山城下町には期待していたのですが・・・。正面が城山ですが、お城は見えません。最後の城門を入らないと天守閣は見えない構造になっているそうです。木曽川の対岸からは丸見えですが、そちらからは攻められない前提だったのでしょうか。

53.加納宿 (岐阜県岐阜市) JR東海道本線岐阜駅より徒歩10分、名鉄名古屋本線加納駅より徒歩5分

 

 

 

 

加納宿路地裏     F4

 

JR岐阜駅前の加納宿は、先の空襲で宿場の殆どを焼失したそうです。名鉄踏切の周辺や加納新町に旧旅籠らしい袖ウダツの商家が数軒残るだけでした。上は専福寺前の路地です。両側に旧い民家が並ぶ静かな住宅街です。

 

 

川原町1    F4

 

岐阜市湊町、玉井町、元浜町の一帯を通称「川原町」といいます。案内によると古くから長良川の河港があり、斎藤道三・織田信長の時代から市場が開かれ、商業の拠点として繁栄したそうです。その名残なのか連子格子の商家が今も軒を連ねています。川原町通りからさらに西へ、東材木町、上茶屋町、下茶屋町界隈も散策しましたが、裏通りにも旧い民家や蔵が点在し、どことなくレトロな町並みがありました。岐阜城(稲葉山城)のある金華山(稲葉山)の真下ですが、ゆっくり歩いてみたいなと思いました。

 

 

川原町2    F4

 

川原町通り中ほどの町並みです。長良川交易で栄えた旧商家の町並みが残っていました。個々の建物は非常に綺麗に手入れされています。最初は馬籠や妻籠と同じように整いすぎて味気ないなと感じました。しかし、美濃路の多くの宿場は明治の美濃地震や戦災で遺構の殆どを失っていました。加納宿や河渡宿と同じ岐阜市内にこれだけの町並みが残っているのは、絵を描く者にとっても大変貴重です。残して欲しい景観です。