由岐漁港1(徳島県海部郡美波町) F4

港に隣接する城山公園?からの眺めです。由岐はこのあたりでは大きな漁港です。昔は街道沿いに重厚な古民家の連なる町並みがありましたが、今はその殆どが建て替わりました。左の画像からも新旧建物の混在する様子がよく分ります。港入口の「ぬの島」が防波堤となる天然の良港です。古くは「雪ノ湊」の名で太平記などにも登場するそうですから、早くから港として栄えたことが伺えます。志和岐、由岐、木岐、牟岐と、阿波南岸に「岐」のつく地名が集中的に登場する理由は定かではありませんが、谷川健一氏によると岐神(ふなとの神)を祭った場所につけられた地名ではないかとの説があるそうです。かつて海士(海女)漁の盛んな漁村であったという点で共通しており、豊後の国東半島にもかたまって存在するそうです。

 

由岐漁港2    F4

 

港東の小さな造船所です。由岐は大きな港の周りを取り囲むように西由岐と東由岐に集落が分かれています。この造船所あたりから東由岐ですが、期待していた旧い町並みは見つけられませんでした。左の画像の堤防外の家並みも新旧混在でした。時間がなく東由岐の路地裏まで見ることが出来なかったのは心残りです。かつて瀬戸内寂聴さんに「こんな美しい海岸を私はいまだ見たことがない」と言わしめた由岐の海岸には、陸の孤島と言われる阿部(あぶ)、伊座利(いざり)があります。そのうち訪ねてみたいものです。

 

 

 

木岐漁港1    F5

 

木岐のこの風景は今回の旅の収穫の一つです。視界を広げ横描きにしても良い構図でした。構図の良い風景に出会うことが稀なためラッキーでした。木岐は、日和佐と由岐の間にある小さな漁港です。木岐駅に近い墓地の上から見た景色です。

                         

日和佐1   F4

 

日和佐は日和佐川の河口に開けた町です。漁港は日和佐川の左岸だけでなく、川の流れを避け、画像右のクレーンから右手の支流に設けられています。港外にはアカウミガメの産卵で有名な大浜海岸が左に、右には太平洋の波浪に削られた断崖「千羽海崖」が2kmも続きます。日和佐は四国第23番札所「薬王寺」の門前町でもあります。私の出身高校もこの町にありましたが、先年海部郡内のK高校、S商業高校と統合され廃校になりました。今は校舎も取壊され校門だけが残る空き地になっていました。寂しい限りです。

 

 

日和佐2    F4

 

日和佐川河口部左岸の日和佐浦にNHK連続TV小説「ウェルかめ」」の舞台にもなった風情のある美しい町並みが残っています。日和佐川と並行する3本の街路ですが、昔ながらの古民家も点在します。それらの街路を横につなぐ迷路のような細い路地にも風情があります。右もその一つです。たわわに実をつけた大きな蜜柑の木がありました。温暖な気候のため夏蜜柑などの柑橘類が多いのです。この日は駅から遠い大浜海岸の民宿に泊まりました。薬王寺詣でのお遍路さんが多いのか、駅に近い旅館やビジネスホテルは何処も満員でした。

 

 

八坂八浜(徳島県海部郡牟岐町)F4

 

室戸阿南海岸国定公園の白眉、八坂八浜の夕景です。太平洋に面した岬の間の入江には白い砂浜が連続し、大きな入江には漁港もあります。画像中ほどの無線塔のある岬が牟岐港の小張崎です。古牟岐港に近い砂浜からの景観です。

 

 

 

古牟岐漁港     F4

 

牟岐港から1.5kmほど東に小さな古牟岐漁港があります。集落の上の畑からの眺めです。正面は無人島の大島です。メジナ(グレ)など磯釣りのメッカですが、戦時中は砲台があったため、牟岐も艦載機による空襲を受けました。かつて牟岐には街道沿いに2軒の旅館がありましたが、何時の頃からか旅館は廃業し、お遍路さんや釣り人向けの民宿が主体になりました。この日は駅から遠い古牟岐に近い民宿に泊まりました。

 

牟岐町並み   F4

 

旧土佐街道沿いに残る商家です。牟岐は東浦、西浦に代表される漁師町ですが、中村地区には行政機関や旧い商家も点在します。左は旧家のG家ですが、社寺建築を連想させる重厚な建物です。今回、阿南海岸の由岐から海部までと高知県の甲浦の主な町並みを歩きましたが、これほどの規模の古民家はありませんでした。明治・大正時代の建造物ではないかと思われますが、建築後に路面が高くなったのか、1階の土間や玄関は道路よりやや低くなっています。道路と高い塀で囲まれた1区画に土蔵など建造物が立ち並ぶ大きな屋敷です。

 

出羽島1   F4

 

牟岐港から3.7km南の海上にある出羽島の港と家並みです。段々畑からの景色です。丁度、「出羽島・牟岐アート展2014」が開催中で、島外からも大勢の人が訪れ、連絡船(定員70人)はほぼ満員でした。またこの日は牟岐中学校の生徒が数隻の釣船に分乗して見学に訪れていました。空き家になった古民家などを使って、県内、県外の作家が流木の彫刻や魚の骨のオブジエなど多数展示していました。手作りの行灯や手芸品の展示販売なども。牟岐の会場では地元出身の江戸絵師三木恒山の屏風絵などの展示もあったようですが、何故か絵画は少なかったようです。

 

 

出羽島2   F4

 

連絡船を降りるとすぐこの家並みでした。新しく建替えられたり、部分的に修理した家もありますが、殆どが古民家のままです。ミセ造り(ぶっちょう造り)と呼ばれる昔ながらの漁村特有の造作です。上ミセと下ミセをたたむと雨戸になり、下ミセは漁具を干したり、作業台や縁台にもなります。鞆港(海陽町)や甲浦でもミセ造りを散見しましたが、出羽島ほどは残っていませんでした。また小さい手押し車を各戸に備えています。自転車も必要としないほど狭い町なので、色んな荷物を運ぶための道具です。

 

鞆漁港1(徳島県海部郡海陽町) F4

 

鞆港の一景。港の入口と中心部は画像の左側ですが大型船が多く、ここは小型船が舫う港西の船溜りです。港のすぐ東側が海部川の河口です。河口から東へ白砂青松の大里海岸が約3km続きます。海部川は阿南海岸で最も大きな河川です。昔は四国山地の木材を、海部川を筏で流し、鞆港から船で神戸へ運んだそうです。往時は美濃・飛騨と阿波・土佐が主な木材の生産地で、資料によると、四国からの木材の約半数が鞆港と隣の宍喰港から出荷された記録があるそうです。海運拠点としての繁栄が偲ばれる鞆港ですが、今は小さな漁港です。

 

 

鞆漁港2     F4

 

JR牟岐線の終点海部駅に近い鞆浦の町並みです。港の北側に狭い範囲ですが、上のような古民家の連なる町並みがありました。窓や玄関などが部分的に補修されているのも生活の証として極く自然です。ミセ造りの家も点在します。間口の広い切妻平入りの家並みですが、二階の窓に装飾的な手摺りのある家が多いのも特色です。中世には海部氏の居城があり、江戸後期の文化年間に郡代役所が日和佐に移ってからも港町として賑わったそうです。海運の衰退とともに町の中心も鞆浦から奥浦へ、さらに現在は阿波海南駅周辺の大里地区に移りました。

甲浦西漁港1(高知県安芸郡東洋町) F4

川のように細長い港ですが、リアス式海岸を利用した天然の良港です。四方に山があるため防風効果もあります。甲浦にはこのほか画像正面左の入江に甲浦東漁港、港入口に竹ケ島漁港があります。今回は時間の都合で、竹ケ島へは行けませんでした。港入口とフェリーなど大型船の桟橋は、画像正面右手になりますが、関西方面へのフェリーも今は無くなりました。室戸からの高速バスが便利になったからでしょう。甲浦は海運の要衝として、土佐日記の紀貫之も立ち寄ったと伝わる古くから栄えた港でした。また中世以前の土佐は配流の地でもあり、土御門上皇など幾多の貴人・流人が甲浦に立ち寄った記録が残されているそうです。土佐藩の参勤交代も後年山周りに変わるまでは甲浦から海路をとったそうですから、往時の繁栄振りが伺えます。

 

甲浦西漁港2    F4

 

西漁港沿いの旧い町並みですレトロな洋館建築も混在します。土佐特有の漆喰壁に水除け瓦のある家もありました。阿波では見かけなかったので、甲浦から土佐なのだと実感した次第です。白浜の旧街道沿いにミセ造り家が数軒点在しましたが、古民家の連なる町並みはありませんでした。豊かな歴史やリアス式海岸、近年サーフィンのメッカとも言われる甲浦には憧れに似た気持ちを抱きながら訪れましたが、短い滞在期間中に満足できる成果を得ることは残念ながら出来ませんでした。