36.宮の越宿 (長野県木曽郡木曽町) JR中央本線宮の越駅より徒歩1分

 

 

宮の越宿     F4

 

宮の越は木曽義仲が平家討伐の兵を挙げた地です。宿場の東のはずれの高台に旗挙八幡宮がありました。木曽川左岸の崖上にあるため、広い平野部が一望できます。左は旗挙八幡から見た宮の越の町並みです。こうして見ると宮の越には赤い屋根の家が多いようです。すぐ下にJR中央本線、平行して中山道、木曽川も中山道のすぐ横を流れています。このあと宿場の西のはずれまで歩いてみましたが古い家は残っていませんでした。道路の片側に幅1mほどの水路がありましたが、安全のためか鉄板などで覆われ味気ない景観でした。義仲の墓所のある徳音寺にも立ち寄りました。山門を入って本堂前にモダンな巴御前の騎馬像がありましたが、格式ある古いお寺には似合わないなと思いました。

 

 

宮の越宿2    F4

 

木曽義仲が平家討伐の旗揚げをしたという旗挙八幡宮にあるご神木の大ケヤキです。樹齢約800年の古木です。平安時代末期?このあたりに木曽義仲の館があり、義仲元服の祝いに植えられたと伝えられています。落雷により幹が割れ、枝1本になっています。残された枝は電柱のような鉄パイプ2本で支えられています。悲劇の武将木曽義仲を象徴しているような姿でした。

37.福島宿 (長野県木曽郡木曽町) JR中央本線木曽福島駅より12分

 

 

崖屋造り1   F4

 

木曽川沿いにある崖屋造り(懸崖造り)の家並みです。行人橋の一つ上流の木橋の下から見た景色です。先年関西の先達Kさんが描かれたのと同じところです。どうやらその後建て替えられた家もあるようです。積み木のような家が下流の行人橋まで連なっています。橋上から、水際から、対岸から何処から描いても絵になる眺めです。「山蒼く暮れて夜霧に灯をともす木曽福島は谷底の町」、関所跡で見た太田水穂の歌が脳裏をよぎります。周りが紅葉する頃また来たいなと思いました。

 

 

崖屋造り2    F4

 

同じく木曽川沿いの崖屋造りです。福島宿2は木曽川水辺からのアングルでしたが、これは橋の上からの眺めです。平地が少ない福島宿ならではの景観です。元は陣屋町として川端ギリギリまで屋敷割りされたため誕生したそうです。表側は普通の商店街でした。木曽川の流れは速く蒼く澄んでいました。

 

 

崖屋造り3     F4

 

11月中旬須原宿~馬籠宿に行った折り、福島宿を再訪しました。紅葉の崖屋造りを見たかったからです。標高の高い木曽福島では木々の紅葉も盛りを過ぎたようでした。それでも対岸や山の草木は一面、黄色、橙色、薄紫に彩られ、朝日を浴びて輝いていました。朝早かったため、崖屋造りの家並みや川面が日陰になっていたのが残念でした。

 

 

上の段1    F4

 

上の段の水場のある町並みです。福島宿は度々の大火により宿場の大半を焼失し、ここ上の段にだけ旧い町並みが残りました。水場は夏来たときにも描きましたが、この出桁袖ウダツの町屋が並ぶ定番アングルをまだ描いていなかったの・・・。

 

上の段2     F4

 

上の段に残る水場と酒蔵横の路地です。上の段に近い宿場東のはずれの崖上に福島関所跡がありました。中山道の中間に位置するため、「入り鉄砲に出女」を特に厳しく取り締まったそうです。有事の際は街道を完全に遮断できる天然の険しい地形に立地していたため、江戸防衛の要の関所として、中山道の碓氷関所、東海道の箱根関所、新居関所とともに四大関所に数えられました。

 

木曽川と町並み    F4

福島関所跡から見た現在の中山道と木曽川沿いの町並みです。往時の中山道は木曽川の左岸崖上にあり、脇道もなく旅人は関所を通る他なかったそうです。関所資料館の案内によると、女改めと鉄砲改めが厳しかったそうです。特に女改めは上番所で女手形の文面や印鑑の引合せ(手形発行権者の印鑑が関所に届けられている)を行い、下番所で身長、髪型など取り調べられ、全て手形通りであれば、下番の者が月番家老の屋敷を回り、次の関所への書替手形を貰い、帰ってきてからようやく許可が下りたそうです。関所をでるまでに不備がなくても通常1刻(2時間)くらいかかったそうです。謀反を警戒して江戸に人質として留め置いた諸大名の妻子などの脱出を防ぐためですが、一般の旅人には迷惑な話です。

38.上松宿 (長野県木曽郡上松町) JR中央本線上松駅より徒歩5分

 

 

上松宿1    F4

 

宿場北のはずれ上町(かんまち)の町並みです。度重なる大火により宿場の大半が失われ、ここ上町にだけ昔の面影が残っていました。全体に背丈の低い家が多いように見受けました。古くなった柱の裾を切り詰めたのだろうかとも推測しましたが、本当のところは分かりません。木曽福島のように上松も平らな土地が狭く、木曽川沿いの急な傾斜地に作られた宿場です。そのため坂道が多く、中山道と木曽川にかなりの高度差がありました。ここから坂道を下り木材工場地区まで行きましたが、工場地区から見上げると上松駅は高い崖の上にありました。

 

上松宿2     F4

 

上松宿は尾張藩直属の材木役所が置かれ、木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコ)の集散地として栄え現在に至っています。JR上松駅裏の木曽川畔に木材工場地区があり、右のような製材所や木工所がありました。このあたりは木曽川の流れも非常に緩やかで、筏の接岸に適していたのだろうと想像しました。上松宿の上流には「木曽の桟」、下流には「寝覚の床」、「小野の滝」と木曽八景のうち三つもありますが、今回は時間の関係で行けませんでした。いずれまた出直さなければと考えています。(その後。木曽の桟と寝覚の床を訪れる機会がありましたが、残念ながら絵にすることが出来ませんでした。)