早春の大内宿(福島県南会津郡下郷町)

 

 大内宿は下野街道の宿場でした。明治時代になってから多くの宿場がその役割を終え、否応なく変貌していく中、大内宿は往時の姿をそのままの形で今に伝えています。これには住民の並々ならぬ苦難の歴史と相沢つぐ男氏(つぐは音へんに召)の説得によるところが大きかったそうです。昭和42年、この地を調査のために訪れた相沢氏(当時は武蔵野美術大学建築学科の学生23歳、後に同大学教授)は大内宿の美しい佇まいに魅了され、その後の半生を大内宿の保存に尽力することになります。「美しいと感じた村の暮らしは、つきつめれば力弱き人々が助け合う姿の中にその源泉があった。美しいものは貧乏したから残ったのではない。共に助け合って生きる中で、村の生活文化が継承され、結果として宿場が残ったのだ。その美しさの源泉を枯らすことなく、村の暮らしのすべてを未来に残したかった。」と後に彼の著作「瞬間の遺産一」の中で述べています。

 

 

 湯野上温泉駅1(福島県南会津郡下郷町) F4 

  

東武鉄道、野岩鉄道、会津鉄道を利用して、新緑の大内宿を訪ねました。左は大内宿の最寄り駅である会津鉄道湯野上温泉駅上りホームからのワンショットです。湯野上温泉駅は御覧のように茅葺屋根の小さな駅舎です。日本全国にも茅葺屋根の駅舎はここだけだとか。駅舎の中には書棚に囲まれた囲炉裏があり、セルフサービスでお茶を飲みながら読書もできるアットホームな待合所になっています。湯野上温泉に宿をとりましたが、温泉町らしくない鄙びた静かな佇まいの街並みでした。

       

 

 

湯野上温泉駅2   F4

 

新緑の湯野上温泉駅をアップしましたが、紅葉も良いなと思い同じアングルで描いてみました。茅葺屋根の駅舎の周りの桜が紅葉真っ盛りでした。入場券を買ってホームから駅舎をカメラに納めていたら、会津若松行きのトロッコ列車が到着し、レトロな列車の発着を何枚も撮影することが出来ました。お座敷トロッコ列車はこの時期平日1便しか運行しないため幸運でした。

 

 

 

 

大内宿1(福島県南会津郡下郷町)  F5

 

大内宿を小高い見晴台から俯瞰した定番風景です。大内宿は日光と会津を結ぶ下野街道(会津西街道)の宿場町でした。会津藩だけでなく、米沢藩、新発田藩も参勤交代や米などの輸送に頻繁に利用したそうです。全国的にも茅葺屋根の古民家がこれだけの規模で保存されているのはここだけです。入母屋の金属屋根に変わった家屋も散見されますが、殆どは奥行きの長い寄棟妻入りの茅葺古民家です。

       

 

 

 

大内宿2      F4

 

大内宿の通りに面した古民家は、殆どが土産物屋や蕎麦屋などを営んでいます。中山道の宿場町とは異なり道幅も広く、緩やかな坂道の両側に水路があり、冷たい清水が流れていました。この日は季節はずれの夏日でしたが、ラムネやサイダーなどを流水で冷やして販売している店もありました。路面は昔ながらの黄色い土のままです。以前は舗装されていた時期もあったそうですが、江戸時代に戻すため舗装も剝がしたのだそうです。

 

 

 

 

二本松城址(福島県二本松市) F4

 

箕輪門の階段下に戊辰戦争で玉砕した少年兵の像がありました。会津藩と共に奥州列藩同盟への信義を貫いた二本松藩の悲劇の象徴です。折りしも城内では菊人形展の開催準備中で、あちこちに菊の鉢植えが飾ってありました。

 

 

 

 

 二本松城址箕輪門       F4

 

室町時代(1414年)奥州探題畠山氏が築いた二本松城は自然地形を利用し難攻不落と言われた山城でした。明治維新の戊辰戦争で焼失し、現在は後年修復された箕輪門と本丸跡の石垣が残っています。天守閣のあった山頂の石垣は見事なものです。本丸跡や箕輪門の石垣は、先の東北大震災で被災し修復したばかりだそうです。

    

 

 

 

 

郡山市公会堂 (福島県郡山市)  F4

 

12月上旬、磐梯熱海温泉を再訪し、郡山市の歴史的な建造物を見学しました。郡山市公会堂は大正14年(1925)、郡山市の市制施行を記念して建築。大阪市の中央公会堂をモデルとしたそうです。今も小規模の集会などに使われています。現在、南側の中央公民館を改築中で、工事用フェンスなどで公会堂の南面が見通せない状態になっています。正面の樹木は冬支度の雪吊を施されていましたが、建物の一部が綱の陰になって見えないため、ここでは雪吊を外しました。

        

 

 

 

丸森発電所     F4

 

大正10年に建設された丸守発電所は、この地では沼上発電所(明治32年)、竹之内発電所(大正8年)に次いで3番目に建造された発電所です。いずれも「安積疎水」完成後に可能となった猪苗代湖水導水による水力発電所です。小さな宿場町であった郡山が、この後、紡績工場などが集積する東北地方最大の工業都市に発展して行きます。

 

 

 

ケヤキの森     F4

 

五百川の右岸に良く整備された遊歩道があり、樹齢300年以上と推定されるケヤキの古木が77本も群生するという斜面林があります。「アガリコ」と呼ばれるタコの足のような独特の形をしています。村人が炭の材料としてケヤキの幹の利用を繰り返すうちに出来たのだそうです。ブナでは全国的に見られますが、ケヤキでは非常に珍しく、貴重なものだそうです。

 

 

 

鶴ヶ城(福島県会津若松市)  F4

 

鶴ヶ城を土塁の上の木の間から見た景色です。赤い屋根が樹木の緑に映えるのではないかと考えたからです。実を言うと現在の鶴ヶ城はコンクリート造りの模造品でもあり、何となく遠景で描きたいなと思ったからでもあります。しかし、鶴ヶ城は旧会津藩、延いては福島県人の精神的シンボルと言っても過言ではない存在です。なお、右は原画では木立が多すぎるためトリミングしました。