24.八幡宿 (長野県佐久市) JR長野新幹線佐久平駅、JR小海線佐久平駅より千曲バス16分

 

 

八幡宿町並み    F4

 

八幡宿は千曲川川止め時の宿泊地として制定されたそうです。塩名田から約3kmと近いのもそのためと思われます。街道沿いには旧本陣の門など僅かですが遺構も保存されていました。左は宿場西のはずれに近い八幡中町交差点あたりの町並みです。東のはずれにある八幡神社がこの地域の総鎮守であり地名の謂れでもあるそうです。隋神門、本殿などの彫刻装飾は非常に細かいもので国の重要文化財になっています。

 

 

八幡神社裏の田園風景  F4

 

中山道を離れ八幡神社の裏側に行くと長閑な田園風景が広がっていました。田植えをしたばかりのようです。

25.望月宿 (長野県佐久市) JR長野新幹線佐久平駅、JR小海線佐久平駅より千曲バス23分

 

 

望月宿町並み    F4

 

望月宿東のはずれ辺りの町並みです。望月には古い商家もちらほら残っていました。左側の民家は通りに対して斜めに建っています。坂本宿などにも見られる「斜交の家」でしょうか。本陣や脇本陣を外敵から守る宿場の備えの一つです。弓矢・鉄砲の射通しが出来ないよう道路を稲妻型に曲げた「枡形」もその一つです。なお望月は古くから朝廷の牧場として栄え、名馬の産地として知られていたそうです。近くに駒寄、御馬寄の地名があるのも頷けます。

 

 

ばん龍窟    F4

 

望月宿は鹿曲川(かくまがわ)沿いに出来た町です。宿場の東のはずれ、鹿曲川に架かる望月橋下流左岸の崖下にへばりつくように弁天窟がありました。ばん(虫へんに番)龍窟です。崖上には豊川稲荷もありました。鳥居の傍に「駒曳きの木曾や出るらん三日の月」と芭蕉の句碑がありましたが、芭蕉ではなく去来の句が正しいとの望月町教育委員会の解説板が添えられていました。

茂田井宿 (長野県北佐久郡立科町) JR長野新幹線佐久平駅、JR小海線佐久平駅より千曲バス30分

 

 

茂田井宿町並み1  F5

 

茂田井宿へは初めてでしたが、漆喰壁の家が軒を連ね、風情のある街道風景でした。交通が不便なだけに昔の宿場の面影が色濃く残ったのだと思われます。ここは茂田井宿の核心部、大澤酒造前の坂道です。平日でしたが車が時々通るだけ人通りもほとんどありません。下校してきた小学生(それも1人)とたまに通るお年寄りが挨拶して行きます。なお茂田井宿は望月宿と芦田宿の間の宿(あいのじゅく)のため69宿には含まれません。しかし、信濃路の中では町並みの保存度も高く絵を描く上でも非常に魅力的な宿場なので、分けて掲載しました。

 

 

 

 

茂田井宿町並み2    31X31cm

 

町並み1を描いた場所から後ろを振り返った眺めです。こちらの建物群は武重酒造です。電柱に銘柄「牧水」の看板が見えます。柿の木もたわわに実っていました。

 

 

茂田井宿裏通り     F5

 

茂田井宿の表道りのすぐ裏には、このような長閑な通りがありました。人影は見えません。茂田井には酒蔵の他にも表通りにも裏通りにも大きな建物が多いのですが農家でしょうか。

26.芦田宿 (長野県北佐久郡立科町) JR長野新幹線佐久平駅、JR小海線佐久平駅より千曲バス38分

 

 

 

芦田宿本陣跡    F4

 

芦田宿の本陣土屋家に残る客殿です。案内板によると、寛政12年(1800年)の再建で内部も上段の間の他、客室部がほぼ完全な形で残っているそうです。芦田はJR佐久平駅、しなの鉄道小諸駅からバスで40分以上かかる不便なところです。それだけに僅かですが古い建物が街道沿いにぽつぽつと残っていました。

芦田宿町並み    F4

芦田宿中心部の町並み。右の建物が酢屋茂(すやも、味噌・醤油の醸造店)、左の煙出しのある出桁造りが旧旅籠つちやです。現在も土屋金丸旅館の名で営業しています。このあと千曲バスで望月宿に戻りましたが、始発バスの乗客は私一人だけ。望月の大伴神社に行きたいのだがどこで降りたら良いか訪ねたことから、同年輩の運転手さんとの会話が弾みました。運転中に話しかけてはいけないことは承知していますが、運転手さんのほうがそんなことはお構いなし。おかげで芦田宿の次の長久保宿、和田宿へは芦田からも町営バスが運行していることを知りました。それまで長久保・和田へはJR上田駅からJRバスしかないものと思っていたのでこれはうれしい情報でした。間もなく望月宿に入り大伴神社の前で臨時停車してくれました。田舎の路線バスは停留所外でも停車してくれることがあるので混んでなければ聞いてみることですね。