大王崎1(三重県志摩市)  F4

 

大王崎灯台を北側の防波堤から見た定番風景です。灯台まで続く旧い石段や石垣は風情があります。しかし、階段下の断崖は海蝕から守るため一部はコンクリート護岸です。大王崎は何時もどこかに絵を描く人がいる「絵描きの町」と言われます。生憎この日は梅雨明けの猛暑日。炎天下の中を、チェックしておいたスケッチポイントを一巡りしましたが、さすがに絵描きやカメラマンには一人も出会いませんでした。熱中症にでもなったら物笑いの種と、写真だけ撮って早々に退散しました。 

 

大王崎2     F4

 

灯台直下の石段と石垣をアップにしてみました。大王崎に出かける前、現地の情報を色々調べているうちに、偶々あるお方のブログを知りました。高名な画家のご息女で、画家が生前描いた大王崎の石段に座る海女像の絵の写真を持って、はるばる東京から大王崎を訪ねた話でした。写真を地元の人にも見てもらい、画家が描いた場所を探したところ、恐らく海女さんたちもよく通るという灯台下のこの坂ではなかったかという話でした。朝日をあびて黄金色に輝く階段に、背負籠を横に置いて菅笠を被り白いシャツを着た海女さんの座像でした。当時は階段の海側の擁壁も石垣だったようです。その後修復工事などで、階段の石も変わってしまったそうですが、今も右手の石垣に黄色い石が混じっているところから、私は階段にもこの石が使われていたのではないかと想像しました。画家の描かれた階段が正に黄金に見えたからです。大正時代から現代に至るまで、藤島武二をはじめ幾多の画家たちが大王崎の自然や街、海女などを描いたことでしょう?

 

 

 

大王崎3    F4

 

灯台下の波切漁港から見た景色です。港から見た灯台の景観に期待していたのですが、なかなか良いアングルが見つかりません。旧い民家も少なくなったようです。現在の波切漁港は非常に大きな港です。左は波切漁港最奥の旧港からの眺めです。旧港は良く描かれるためか、岸壁は明るいモザイク模様の綺麗な石組みでした。

大王崎4     F4

引き潮になるのを待っていたかのように、大王崎波切漁港(旧港)を次々と海女船が出てゆきます。夫婦船のようです。海女さんは黒いウエーダー(昔は白い襦袢?)を着て、日よけ帽子をかぶり、囲炉裏室?の外に座って作業をしています。不躾とは思いましたが対岸から写真を撮らせて貰いました。良く見ると一般的な漁船とは異なる幾つかの特徴があります。どうやらエンジンルームが、海女さんが海に潜ったあと暖を取るいわゆる囲炉裏室ではないか?海女さんが海面から乗り降りし易いように、舷側の囲い板の一部が取り外せるようになっています。また命綱?を取り付けるアームらしきものも見えます。安全のためか船尾が大きく切れ込んでいてスクリュー(プロペラ)が見えません。沖に出てから使うのか、長い櫓も積んであります。入漁鑑札でしょうか?青い旗を立てています。どの船もゆっくりと静かに、毎日繰り返しているかのように船頭の動きに一分の無駄もありません。碇を上げ、先ず弧を描くように後進して岸壁を離れ、次々と同じ航跡を辿りスピードを上げながらあっという間に港を出てゆきました。この日、波切漁港に着いて間もなく海女舟の出港に出会えたのは幸運でした。

           

 

 

 

大王崎5     F4

 

大王崎の町の中心部にある伝三坂(でんざざか)と台地に開けた町並みです。この風景に出会ったとき長崎に似ているなと思いました。長崎ほど山は高くないため坂の規模は小さいですが、大王崎は海蝕段丘の崖上に町があるため急坂が多く、その殆どが石畳の階段坂です。ここは構図も気に入りましたが、左の民家が建替えられたばかりのようで、屋根瓦も壁も新建材でした。市の案内によれば、昔この坂の途中に伝三屋という家があったことから伝三坂と言われるようになったのだそうです。

           

 

 

 

大王崎6     F4

 

長い石段坂が連なる産屋坂(おびやさか)です。メインストリートの石段や石畳から家々の屋敷内へ階段が次々と枝別れしています。主道の石段は長年踏みしめられ、中央部が磨り減って窪んでいます。大王崎が「画家の町」といわれるのは、港や灯台があるだけでなく、風情のある坂道が多いからではないかと思いました。

 

 

 

 

大王崎7     F4

 

産屋坂(おびやざか)を坂下から見た景色です。風情のある古い石垣や石段が多いためか、画家の町大王崎でも人気ポイントの一つです。市の広報によると、大王崎は昔は海岸から良質の石が採れたため、石工の町としても知られ、優れた野面積みの石垣などがあちこちに残されているそうです。この坂は港から坂上に上がるメインストリートで、途中に子安観音があったため産屋坂と呼ばれるようになったとか。