五浦海岸(茨城県北茨木市)  F4

 

五浦岬公園から六角堂と旧岡倉天心住居跡を見た景色です。六角堂は先の東北大震災の津波で流失し、その後天心の設計通りに復元されたそうです。六角堂は小さい岩鼻の先端に設置されており、波浪による砂岩の侵食を防ぐためか、良く見るとところどころ人工の岩で補強されています。六角堂は杜甫の草庵に倣ったそうですが、仏堂と茶室も兼ね、天心は波の音を聞きながら六角堂で読書と思索に耽り、また晩年は毎日釣りを楽しんだそうです。

 

 

大津漁港(茨城県北茨木市) F4

 

五浦海岸の南端松ヶ崎にある漁港です。このあたりではかなり大きな漁港です。上は漁港東側の小型漁船の船溜りと揚船場です。県内随一の施網漁港だそうです。。港周辺の低い土地が広いため、先の東北大震災の津波被害が大きかった港の一つです。今も港の周りの建物がまばらになって、殺風景な印象を受けました。この日は梅雨の晴れ間でしたが午後からは雲行きが怪しくなったため早々に帰路につきました。

 

 

平潟漁港1(茨城県北茨城市) F4

 

日帰りで五浦海岸と平潟漁港を訪ねました。平潟は地理的に五浦海岸に隣接する景勝地です。早くから絵描きに好まれた漁港として有名です。右の奇岩の中腹に小さな観音堂がありますが、先の東北大震災の被害を受けたのか、屋根はビニールで覆われたままです。(勝手に修復して描くことも考えましたが、結局割愛しました。)平潟港も3.6mの津波に襲われ、東側の一部は7m以上の浸水を記録したそうです。港、道路、家屋などの被害が大きかったそうですが、今はその爪跡を感じさせないほど復旧しているように見受けられました。

 平潟漁港2   F4

平潟の町並みです。港に向かって緩やかな下り坂になっています。港の周囲にはこのような古民家も点在し、昭和の面影を残す町並みがありました。平潟港や五浦海岸へは最寄駅の大津港駅から路線バスが日に数便しかなく、タクシーで移動する他ありませんでした。余談になりますが、平潟から五浦海岸六角堂へタクシーで移動する途中の海岸に、第二次世界大戦中、日本がアメリカに向けて放流した風船爆弾の部隊跡がありました。直径10mの紙風船に爆弾と焼夷弾をぶら下げ、ジェット気流(偏西風)に乗せ、アメリカ大陸上空まで飛ばしたのだそうです。何とも荒唐無稽な企てのようですが、約9000個を放し、360個以上がアメリカで確認されているそうです。山火事や一般市民の死亡者も出たそうです。アメリカでは生物兵器の投下を恐れ、風船爆弾がアメリカ本土まで届いたことを日本に知られないよう厳重な報道管制を敷いたため、日本では戦後までその結果が全く分らなかったのだそうです。

 

 

 

 

勿来漁港(福島県いわき市) F4

 

平潟漁港のすぐ北隣に位置する勿来漁港は福島県の漁港です。平潟漁港とは県境の小さな岬の背中合わせにあるため、平潟は関東最北端の漁港、勿来は東北最南端の漁港となります。地図を見て初めて知りました。平潟もそうですが勿来もアンコウの底引網漁が盛んな漁港です。遠景は福島県の海岸線です。なお勿来の関跡はここから1kmほど北になります。