39.須原宿 (長野県木曽郡大桑村) JR中央本線須原駅より徒歩2

 

 

 

須原宿俯瞰      F5

 

早春の木曽路須原宿を中央本線の上の畑から見た景色です。須原駅で一緒に電車を降りた高校生に教えて貰った場所でした。昔の須原宿は中山道で最も美しいといわれ、幸田露伴の風流仏の舞台ともなった人気の宿場でした。現在はご覧のように新しく建て変わった家も多く、奈良井宿や妻籠宿の賑わいに比べると訪れる人も少ない静かな町です。先年同じアングルから描いたことがありますが、その時の写真から描きなおしました。        

 

 

須原の水舟1    21X28cm

 

 

須原宿の中ほどに屋根つきの水舟がありました。宿場内には何箇所かこのような水舟が道端に置いてあります。太い丸太をくりぬいて水を溜めています。裏山の湧き水を引いているそうです。「寝ぬ夜半をいかにあかさん山里は月出つるほとの空たにもなし 子規」と刻まれた歌碑のある水舟もありました。地元では水舟を井戸と呼んでいます。

 

 

 

 

須原の水舟2    F4

 

別のアングルから見た水舟のある風景です。この水舟も通りの向い側からのアングルを描いたことがあります。須原宿俯瞰はこの水舟のある家の横の路地を入り、JRの線路を渡って裏の畑に上がりました。

 

 

須原宿町並み    F4

 

須原宿中ほどから北(江戸)側を見た眺めです。須原宿には僅かですが袖ウダツ出桁の民家が残っていました。しかし大半は建て替えられたり、玄関や窓など新建材に変わっていました。妻籠や馬籠のように町並みが修景されていない分、濃厚な生活感があります。馬籠、妻籠の混雑振りを見た後だったためか、ひっそりとした通りは侘しいくらいでした。須原宿は昨今の木曽路ブームに乗り遅れた感のある静かな町でした。

40.野尻宿 (長野県木曽郡大桑村) JR中央本線野尻駅より徒歩2分

 

 

野尻宿町並み    F4

 

野尻も度重なる大火により、その都度宿場の大半を焼失したそうです。中でも明治27年(1894)の大火で、宿場の殆どを失っています。そのため昔の面影を残す建物は少ないものの切妻出桁の民家がところどころに残っていました。野尻宿は坂が多く道も曲がりくねっています。昔は「野尻の七曲がり」と呼ばれたそうですが、これも枡形の変形で宿場防衛策の一つです。左は旧中山道の町並み。野尻駅の上あたりに旧い民家が残っていました。右の建物は道路に対して斜めに建っています。いわゆる「はすかいの家」ですが、これも外敵を防ぐ手段の一つです。

41.三留野宿 (長野県木曽郡南木曽町) JR中央本線南木曽駅より徒歩7分

 

 

 

 

桃介橋     F4

 

三留野宿も数度の大火で宿場の殆どを焼失し、街道の面影は払拭されていました。左は南木曽駅に近い木曽川に架かる「桃介橋」です。大正11年(1922)、福沢桃介が電力開発の資材運搬用に建設したつり橋です(国の近代化遺産)。今はトロッコレールを外し歩道橋として使用しています。少し下流に福沢桃介記念館がありました。福沢桃介と川上貞奴がこの地で過ごした別荘跡です。