入川渓谷(秩父市)  F4

 

秩父ダム上流の入川渓谷です。4月下旬、荒川源流赤沢出合へハイキングに行きました。途中にあった夕暮キャンプ場下の渓流です。戦前、この近くに歌人前田夕暮の別荘があったそうで、キャンプ場には歌碑がありました。前田夕暮は奥秩父に父親から受け継いだ山林会社を経営していたことがあり、このあたり一帯は彼の所有地だったようです。ここから上流1kmほどの間は自然の渓流を利用した鱒釣り場になっています。

    

 

 

 

 

入川渓谷登山道1   F4

 

夕暮キャンプ場上流の鱒釣り場を過ぎるとやがて林道から別れ、切り立った渓谷沿いの登山道になります。昔は森林軌道だったのかトロッコレールがところどころに残っていました。現在は東大演習林として良く管理されています。標高が高いためか4月下旬なのに新緑は始まったばかりでした。

 

 

 

入川渓谷登山道2    F4

 

荒川は秩父湖(ダム湖)の上流、川又で滝川と入川に分かれます。川又から入川左岸の林道を2.5kmほど遡ると、林道は高度を上げ渓谷から離れます。林道から分かれ渓谷沿いの登山道を進むと、間もなく険しい岩場を削ったような道になります。落ち葉の積もる心地のよい道です。案内によると昭和23年(1948)から45年間に亘り、トロッコが走っていた森林軌道跡です。その頃は全国あちこちに森林軌道があったそうですが、今ではほとんど姿を消してしまいました。ここも現在は赤沢出合や十文字峠、甲武信ガ岳などへのハイキングコースになっています。赤沢出合まで登山道のところどころにトロッコレールが残っていました。

 

 

赤沢出合1(秩父市)   F5

 

荒川の源流「赤沢出合」です。荒川本流の入川と赤沢の合流点です。左は赤沢の最下流ですが、ご覧のように眼に見える水流は僅かですが、急斜面に岩が積み重なった下を水が流れる伏流です。合流点はかなりの水量でした。「音が消える場所」と言われる意味が良く分りました。荒川と千曲川との分水嶺である甲武信ガ岳への登山道はここで入川渓谷と別れさらに上にのびていました。合流点のすぐ上の岩場に「一級河川荒川起点」と記した小さな石標がありました。

 

 

 

 

赤沢出合2     F4

 

赤沢出合の入川(荒川本流)側です。合流点はこのすぐ下流ですが足場が悪く良いアングルが見つかりませんでした。埼玉県の中心を貫流し、やがて隅田川や荒川放水路となり東京湾にそそぐ荒川ですが、ここまで遡上すると地形は険しいものの大河の面影はありませんね。

 

 

 

赤沢出合3    F4

 

赤沢出合の描き直しです。アングルを若干変えてみました。前にも書きましたが、赤沢出合は荒川本流の起点とされています。この直下の入川との合流点に「一級河川荒川起点」の石標があります。急斜面に折り重なる大小の石の表面についたコケの乾いた色が微妙で表現するのがなかなか難しいなと思いました。

 

 

 

 

不動滝1(秩父市)   F4

 

秩父の名瀑不動滝です。上下3段50mの落差のある優美な滝です。1段目が25m、2段目10m、3段目15mだそうです。左は1段目と2段目の一部です。急峻なV字峡谷にあるため、全体を見通すには登山道の上まで後退しなければなりません。不動滝は栃本から歩いて1時間10分ほどです。道は良く整備されていますが荒川本流から滝のある大除(おおよけ)沢までは急登が続くため、トレッキングシューズを履いてきたのは正解でした。

                   

 

 

 

不動滝2    M4

 

これも不動滝をアングルを変えて描き直してみました。荒川支流の不動滝は3段50mの優美な滝ですが、1段目25mだけを描きました。急峻な地形から荒川の源流域のように思われますが、赤沢出合から7kmほど下流の滝川支流大除沢の滝です。

 

 

 

滝川渓谷(秩父市)  F4

 

不動滝入口直下のつり橋のある渓谷です。渓流釣りの解禁日を過ぎたのか、ヤマメを狙う釣り人が1人下から上がってきました。このような格好の流れを見ると渓流釣りに凝っていた若い頃を思い出します。

 

 

 

栃本より甲武信ガ岳遠望(秩父市) F5

 

栃本関所跡からの早春の山里風景。春も彼岸を過ぎたばかり、狭い急斜面の畑にはまだ作物も少ないようです。畑の土が雨で流れないよう随所に背丈の低い木が植えられています。昔から武州と甲州・信州を結ぶ雁坂峠や十文字峠越えの秩父往還の要衝にあった栃本には関所がありました。現在も修復保存されています。雁坂トンネルや彩甲斐街道(国道140号)が開通した今はその役割を終え、栃本は十文字峠から甲武信ガ岳などへの登山拠点になっています

 

 

栃本より甲武信ガ岳遠望2   F4

 

昨年3月、早春の栃本を訪ねた時に描いた同表題の愚作を構図を変えて描き直しました。こちらのほうが荒川源流部の急峻なV字渓谷の緩斜面に畑を耕しながら生活を営む栃本の地形的な特徴がよく分ると思います。この絵の前方中央に僅かに見えるのが彩甲斐街道(国道140号線)です。時期的に畑の作物は少ないですが、高い杭を打って畑を囲むように網を張っています。猪、鹿、猿などから作物を守るためと思われます。網を省き、杭も一部だけ描きました。栃本は早春の頃も良いですが、つつじの花の咲く頃が一番綺麗なのだそうです。(参照)埼玉の風景/秩父

 

 

栃 本    F4

 

畑の中の道から関所跡を見上げた景色です。表紙の絵とは反対方向からのアングルになります。これまであまり描かれていないようですが、このアングルも気に入りました。栃本は民家も魅力的な建物が多いのですが、無断で撮影するのもマナーに反すると思い遠慮しました。

     

 

栃本関所跡    F4

 

旧秩父往還沿いに残る栃本関所跡です。栃本は中山道と甲州街道の間道であった秩父往還の要衝でした。武田信玄が最初に栃本に関所を設けたそうですが、栃本の奥にある三つの金山の監視と通行する荷駄の検閲が主たる任務であったそうです。江戸時代になってからは「入鉄砲出女」の取締りが厳しくなりました。案内によると現存する役宅は文政6年(1823年)に建てられたもので国の史跡です。

 

 

 

寺坂棚田より武甲山(秩父郡横瀬町) F4

 

西武秩父線横瀬駅に近い寺坂棚田から見た武甲山です。棚田はところどころ耕されただけでまだ水をはっていません。あまり高低差の無い棚田ですが県内の棚田では面積が一番広いそうです。南に石灰岩の採掘により上部がピラミッドのように削られた武甲山が間近に聳えていました。

 

 

 

武甲酒造(秩父市)   F4

 

秩父鉄道秩父駅に近い武甲酒造柳田総本店です。旧秩父往還に残る数少ない遺構の一つ。案内によると柳田総本店は宝暦3年(1753)創業の蔵元で、この店舗も江戸後期に建てられた秩父に現存する最も古い建物だそうです。(国の登録有形文化財)

 

秩父神社1   F4

 

「秩父夜祭」で名高い秩父神社です。毎年12月3日に行われる例祭は、京都の祇園祭、飛騨高山祭と並ぶ日本三大曳山祭に数えられています。この日は秩父鉄道、西武線、東武線など秩父方面への連絡便は終夜運転になります。なお「秩父夜祭」は、国の重要無形民族文化財、ユネスコ無形文化遺産に登録。

 

 

秩父神社2    F4

 

秩父神社の拝殿前から見た神門と大銀杏。背後の大きな建物は本殿ではなく平成殿(社務所、秩父宮記念室など)です。大銀杏は樹齢400年の御神木ですが、昭和41年の台風で幹が途中から折れ、現在の形になったそうです。なお部分的に建物などが右に傾いたり、左に傾いたり、地面が平坦でないように見えるのはデッサンの狂いです。最近目が悪いのか気がつかないうちに傾いているのです。秩父神社1、同2とも昨年3月に訪ねた時に撮った写真から描きました。