中山道の風景

 私が住んでいる大宮は、古くは氷川神社の門前町として、中世以降は中山道宿場町として発展してきました。天保14年(1843)には本陣1、脇本陣9、旅籠25軒を数えたそうですが、現在の大宮には往時の面影は殆ど残っていません。明治16年中山道沿いに高崎線(当時は中山道線と呼ばれたそうです)が開通し、宿場の中心部に大宮駅が出来たからです。やがて鉄道の発展により都市化が進み次第に宿場の面影は消えていきました。大宮だけでなく浦和、上尾などもみな同じです。(註)

 大宮に住みながら、中山道69次をスケッチしながら歩いてみたいというのが、私が絵を描き始めてからずっと抱いてきた願望でした。大宮からはJRの鉄道便が便利です。武州路・上州路と信濃路の一部は日帰り圏、長野新幹線の開通により木曽路と美濃路の一部までが近くなりました。私にとって「中山道巡り」は地の利を得たテーマでしたし、好きなハイキングとも両立します。しかし、ようやく「中山道巡り」を決行したのは2008年9月でした。テーマを温めているうち歳をとってしまい、中山道を全て徒歩で歩くには時間も体力も足りないことが明白でした。そこでかつて宿場のあった地域に残る旧い町並みを描くことを重点に、東京日本橋から京都三条大橋まで69宿全てを訪ね終えたのは2011年11月でした。気の向くままに69次の順番に拘らず、凡庸に見える町は駆け足で、気に入った町は季節を変えてまた訪れました。永年の念願かないゴールと決めていた三条大橋を妻と一緒に渡ることが出来たときは感激しました。 

(註)今井金吾著「新装判今昔中山道独案内」(日本交通公社 1994.9.1)