中山道69次宿場巡り

(2011年Ⅰ期)

 

11.04.24(日) 福島宿(再訪)、須原宿(再訪)

 

  3月の東日本大震災により、計画していた中山道巡りや九州熊本・大分旅行など全て中止した。津波に押し流される被災地の映像などを毎日TVにかじりついて繰り返し見た。夜中に目覚めると福島原発の状況が気になって枕元のラジオをつけるという毎日であった。震災以来絵を描く気力も萎えてしまった。

 震災後1ヶ月余り経過し、大きな余震も少なくなり、JRなどの鉄道ダイヤも安定してきたようだ。まだこんな時にという後ろめたい気持ちはあるが、延期していた美濃路行きを実行することにした。大宮からは中津川・恵那あたりまでは長野新幹線、篠ノ井線、中央本線利用のほうが時間、費用ともに有利である。従って細久手宿までは長野経由中央本線で、御嵩宿から西の宿場へは東海道新幹線で名古屋経由で行く予定である。Netで調べたらJR各線のダイヤは平常運転のようだ。しかし、長野でも余震が続いているし、何時何が起こるか予断を許さない。ホテルの予約や列車のキップ購入も全て出発前日であった。旅先から予定通り帰れないかも知れないので、往きの片道キップだけ買っていった。今日は恵那駅前のビジネスホテルに泊まる予定であるが、木曽福島と須原で途中下車し、福島宿では早春の崖屋造り、須原宿では前回見逃した宿場全体の俯瞰場所を探して写真を撮りたい。明日から美濃路の落合、中津川、大井、大湫、細久手の5宿場を訪ねる予定である。

 8:18大宮発あさま507号にて長野着9:45。10:00長野発ワイドビューしなの8号に乗り継ぎ、木曽福島着11:30。ほぼ定刻通りだ。長野新幹線も特急しなのも空いていた。荷物を木曽福島駅のコインロッカーに預け、目的の崖屋造りへ。木曽福島の崖屋造りを見るのは今度で3回目である。昨秋紅葉の時に来た時は朝早かったため建物も川面も日陰になっていた。今回は建物に陽の当たる早春の午後の風景を期待していたのだが・・・。

 生憎今日は朝から晴れたり曇ったり、風もかなり強い。木曽川は雪解けで増水し流れが速い。水際の路は水没して、崖屋造りのベストアングルである橋の下に降りることが出来ない。のっけから見込みが外れてしまった。「絵を描くものは時間を大事にしなければならない」とある本で読んだことがある。前回や今回のような失敗をしないための戒めの言葉ではなかろうか。橋の上から、強風に帽子を飛ばされそうになりながら何枚か写真を撮った。

 周囲を一巡りしてから、中山道に戻り車屋の前に出たので中を覗く。店内はほぼ満員で、席待ちの客も7、8人という混みようだ。、さすが木曽福島へ来たら車屋といわれる蕎麦屋である。弁当は持ってきているので駅に戻る。駅前の公園で小休憩した。

早春の崖屋造り1
早春の崖屋造り1
崖屋造り4
崖屋造り4
崖屋造り2
崖屋造り2
本町通り商店街(崖屋造りの表通り)
本町通り商店街(崖屋造りの表通り)
崖屋造り3
崖屋造り3
関所下の町並み
関所下の町並み

 次の上り電車で須原へ。須原駅で一緒に電車を降りた地元の高校生に亀子誠さんの絵のコピーを見せて、この場所へ行きたいのだがと尋ねたらすぐに分かった。やはり予想していた通り、宿場の中程から中央本線の線路へ上がったところからの景色だとのこと。須原へは昨年秋にも来たのでおおよその地理は分かる。屋根のある水場があるところに左に入る路地があり、線路まで上がることが出来た。須原駅に着いた頃から雨が降り出し、目指す場所を見つけたもののいよいよ本降りになってきた。折りたたみ傘を差しながらの写真撮影になった。そのうち雨は小降りになったので、線路を渡りさらに畑の上の自動車道まで上がった。ここまで来ると須原宿だけでなく木曽川も一望できた。やがて雨はすっかりあがり日差しが見え始めた。遠くの山々には雲がかかり煙っている。木曽駒ヶ岳が見えないか目をこらしたが分からない。予てより念願の景色だったので、同じようなアングルで何枚も写真を撮った。

須原宿俯瞰
須原宿俯瞰
水舟と町並み
水舟と町並み
須原宿の町並み
須原宿の町並み

 次の上り電車を待って中津川へ。普通電車は中津川が終点なので、名古屋方面への電車に乗り継ぎ今日の目的地恵那へ。ホテルにチェックインする前に駅前で夕食の場所を探したが適当な店がない。駅前通りをしばらく歩いてみたが見当たらない。広重美術館の先にスーパーがあったので、弁当でも買おうと入ったが売れ残りなのか美味しそうなものがない。店内で焼いているお好み焼きが旨そうに見えたので、普段食べたこともないお好み焼きを買ってしまった。予約しておいた駅前のビジネスホテルに6時頃チェックイン。典型的な安ホテルである。今回は中山道とは関連はないが岩村城下町にも行きたかったので、明智鉄道の始発駅である恵那駅前の宿にしたのである。

 旅先ではホテルの部屋にいる時間が長いので、今回初めてフォトフレームを持ってきた。ミニノートよりも軽いし画像が鮮明で色も綺麗だからである。昼間撮った写真をチェック出来るし、絵の下描きもしたい。フロに入り、ビールを飲みながらお好み焼きを食べた。腹が減っていたのでビールもお好み焼きも旨い。久しぶりの長旅で疲れた。ベッドで横になり須原の景色をフォトフレームで見ているうちに眠くなりそのまま寝てしまった。

11.04.25(月) 大湫宿、細久手宿、岩村城下町、大井宿

 

 ホテルの食堂で7時頃から朝食。無料でサンドイッチと目玉焼き、コーヒーが出る。サンドイッチもコーヒーも不味い。ビジネスホテルは通常「朝食付き」であるが、ここは「希望者には無料」となっている。これでは不味くても文句は言えない。駅前というほど近くないし部屋も古い。値段もこの前に泊まった中津川のホテルとさほど違わない。それなりに客があるのは他にホテルがないからか?

 恵那駅から8時過ぎの上り電車に乗り釜戸へ。釜戸駅前からタクシーで大湫宿へ行く予定であるが、駅前にタクシーがいない。大湫病院行き専用バスが止まっていたが、さすが病院バスに便乗する気にはなれない。大湫宿も次の細久手宿も路線バスがなく、瑞浪市のコミュニティーバスが朝晩運行されているだけである。タクシー会社に電話し大湫宿まで配車依頼。20分ほどしてタクシーが来た。どうやら瑞浪駅前から来たようだ。大湫宿まではずっと上り坂が続く。運転手さんに聞くと大湫は標高500mくらい、距離は4kmほどであるが歩くのはちょっときつそうだ。宿場西のはずれにある宗昌寺へ向かって貰う。宗昌寺の前の寺坂からの大湫宿の町並みを見たかったからである。寺の前が中山道であり十三峠の石碑があった。境内からすぐ下に大湫宿の町並みがよく見える。

 宿場東の入口に枡形があり、枡形の北の高台に赤い屋根の大湫小学校があった。ウイークデイなのに人の気配がない。廃校のようだ。校門のそばに大きな皇女和宮の歌碑があった。「遠ざかる都と知れば旅衣 一夜の宿も立ちうかりけり」、「思いきや雲井の袂ぬぎかえて うき旅衣袖しぼるとは」の2首の歌が刻まれていた。校庭のあたりに旧本陣があった名残であろう。あとでタクシーの運転手さんに聞いたところ、現在は釜戸の小学校と統合され廃校となったそうだ。校舎の裏の大きな桜が満開であった。生徒の去ってしまった学校にはなぜか哀愁が漂う。校庭や学校の周りはきれいに清掃されている。地元の人たちが管理しているのだろうか。 

宗昌寺より大湫宿
宗昌寺より大湫宿
旧大湫小学校
旧大湫小学校
小学校下の町並み
小学校下の町並み

 大湫宿は山間の小さな宿場であるが、脇本陣跡などの遺構もあり見所の多い宿場である。枡形から西の町並みは古い民家が連なり随所に旧街道の風情が残る。宿場の西寄りに神明神社があり、境内に樹齢1300年とい大杉があった。大湫宿のシンボルである。町並みが途切れる西のはずれに復元された高札場跡があった。高札場のそばの細い石段をあがると古い観音堂があり、境内にはすでに葉桜になった大きなシダレ桜があった。高台にある観音堂からは大湫宿の町並みがよく見えた。

大湫宿の町並み1
大湫宿の町並み1
観音堂
観音堂
脇本陣跡
脇本陣跡
観音堂からの町並み
観音堂からの町並み
神明神社の大杉
神明神社の大杉
大湫宿の町並み2
大湫宿の町並み2

 観音堂を出る頃にはぽつぽつと雨が降り始めた。急いでタクシーを呼び細久手宿まで行って貰うことにした。今朝釜戸駅から大湫宿まで乗せて貰ったタクシーである。細久手まで約6kmの道程であるが、非常に新緑のきれいな道である。全体的に下り坂である。天気が良ければ歩くつもりだったので残念。細久手に着くまでに雨は本降りになった。運転手さんと相談して、細久手宿のめぼしい処を写真だけ撮って、そのまま最寄り駅まで行って貰うことにした。最寄り駅は釜戸駅も瑞浪駅もほぼ10kmと等距離らしい。午後からは岩村城下町へ行く予定なので電車で恵那駅まで戻らなければならない。鉄道の時間を確認し急行が停車する瑞浪駅が良いだろうということになった。予め調べた通り細久手宿には旧旅籠大黒屋しか残っていないようだ。取りあえず大黒屋とその周辺だけカメラに納めた。雨の中運転手さんに傘を差し掛けて貰いながらの撮影であった。大黒屋は江戸時代からの建物を維持しながら現在も旅館を営んでいる。中山道を歩く人たちの人気の宿になっているそうだ。

大黒屋
大黒屋
大黒屋玄関
大黒屋玄関
大黒屋前の町並み
大黒屋前の町並み

 早々に細久手を後にして瑞浪駅へ向かった。起伏のある田園の中の道を進む。小さい集落が点在する風景が素晴らしい。時間が許せば途中で車を降りて写真を撮りたかった。瑞浪駅に到着する急行電車に間に合うようにと急いでくれている運転手さんに、ちょっと止めてと言えなかったのが悔やまれる。瑞浪駅に着く頃には雨はすっかり止んでいた。

 瑞浪駅から中央本線下り電車で恵那駅に戻り、恵那駅始発の明智鉄道に乗る。岩村までは約30分。12時過ぎには岩村駅に着いた。予定より2時間余り早い。明智鉄道は初めてであるが、途中の各駅や周辺の風景が実に良い。各駅で降りてスケッチしたいくらいだ。岩村駅も小じんまりした古い駅舎であるが、城下町の見所や日本一の農村風景など情報満載の駅であった。

 岩村城下町は重要伝統的建造物群保存地区の指定を受け、その面積が非常に広い。城跡は石垣だけしか残っていないし、離れた高い場所にあるので、今回は敬遠することにした。先ず駅前から重伝建地区の中心部を城山の麓まで歩いた。片道1.5kmくらいだろうか。中心街の距離だけでも奈良井より長い。岩村は中心通りだけでなく、裏道や脇道にも古い建物が点在する。2時間余りかけて裏通りも歩いてみたが、なかなかスケッチポイントが見つからない。中山道の宿場町とはまた違った佇まいである。「女城主」の看板がある酒屋のあたりがやや変化のある町並みだ。酒屋から東の城山に至る通りに、古い民家が連なり風情があるが、工事中の青いシートの家が邪魔になる。結局、長時間かけて歩いたものの収穫の少ない岩村城下町であった。今日は朝から変な天気である。晴れたと思ったら急に雨が降り出したり、岩村でもめまぐるしく天気が変わった。 

岩村町並み1
岩村町並み1
岩村町並み3
岩村町並み3
岩村町並み2
岩村町並み2
女城主蔵元
女城主蔵元
木村邸
木村邸
岩村裏通り
岩村裏通り

 予定より早いので、明智まで足を伸ばし大正村の町並みもみたかったが・・・。岩村の農村風景日本一の地にも機会があれば訪ねてみたいものだ。誰もいない駅のホームで上り電車を待ちながら遅い弁当を食べた。

 恵那駅に早く着いたので、明朝の予定にしていた大井宿を歩くことにし、駅前通りの広重美術館に行ってみたが休館日であった。

大井宿は恵那市の中心部に位置し、都市化の影響を避けられなかったようだ。旧旅籠角屋(現旅館いち川)、旧庄屋跡、旧本陣門などの遺構は点在するが古民家の連なる町並みはない。全部で6カ所もある枡形を辿りながら、明智鉄道の下をくぐり、石仏群のある坂上まで行ってみた。宿場の東のはずれと見られる高札場跡のある坂道に唯一街道の面影を感じた。

 東美濃の要衝の地であった大井宿に徳川幕府が城を築く計画があり、その後事情が変わり築城されなかったそうである。大井宿に6カ所も枡形があるのはその名残りだそうだ。現在はそれぞれの枡形に直進道が出来、旧街道は分かりにくくなったが、各枡形に設置された標識を見ながら進めば間違えることはない。

旧庄屋跡
旧庄屋跡
寺坂の石仏群
寺坂の石仏群
旧本陣門
旧本陣門
寺坂下の町並み
寺坂下の町並み
高札場の坂道
高札場の坂道
いち川(旧旅籠角屋)
いち川(旧旅籠角屋)

落合宿本陣跡        
落合宿本陣跡        

 ホテルで朝食(昨日と全く同じメニュー)を済ませ7:40頃チェックアウト。普段家ではまだベッドの中だ。今日も天気予報は芳しくない。雨にならないうちに落合宿と中津川宿を消化して早く帰路につきたい。

 7:55恵那発中央本線下り電車に乗り中津川着8:05。落合宿へは馬籠行きのバス便があるが、次のバスまで1時間もある。時間が惜しいのでタクシーで行く。落合宿を過ぎ落合川を渡り十曲峠入口あたりでタクシーを降りる。このあたりまで来ると、落合川の対岸斜面にある宿場の家々がよく見える。写真を撮ろうとしたらメモリーカードがカメラに入っていない。昨夜ホテルの部屋で見たフォトフレームにカードを入れたままだ。フォトフレームは中津川駅のコインロッカーに預けた荷物の中である。予備のメモリーカードも持っていない。そういえば前にも同じようなことがあった。段々もの忘れが酷くなるようだ。ここから中津川駅までは4kmほどだろうか、出直すにはちょっと遠すぎる。ショックは大きかったが、気を取り直して宿場内を散策する。小さい宿場なので、西のはずれまで歩くのにさほど時間がかからない。古い建物は点在するが連ならない。宿場の中程にある旧本陣(井口家)は、門や母屋がほぼ完全に残っている。この本陣の一角だけが旧街道の雰囲気がある。万年筆の下書きだけであるが、本陣を1枚スケッチ。絵の具も置いてきたので、後から色づけしなければならない。丁寧に下書きしておけば、かなり長い時間記憶しているものである。落合宿には本陣以外に、これといった遺構が見当たらなかったので、写真を撮れなかった諦めもついた。 

 落合は馬籠の西隣の宿場であるが、観光客は馬籠や妻籠へ向かい、落合で降りる人は殆どいない。美濃路の入口にある落合宿は、妻籠・馬籠の賑わいから取り残された静かな町であった。

 帰りは路線バス(北恵那交通バス)で中津川駅前に戻った。中津川宿は中津川駅前である。昨年馬籠・妻籠などを訪ねた時、中津川駅前のホテルに泊まった。その際短時間だが宿場の中心部を歩いたことがある。今回は2度目でもあり、前回行けなかったはざま酒造から東の街道や脇道・裏通りも歩いてみた。しかし、旧宿場の風情が残るのははざま酒造の周りだけ。裏通りにも古い建物がぽつぽつと点在するが連ならない。

横町通りの商店
横町通りの商店
はざま酒造
はざま酒造
横町通りに続く脇道の町並み
横町通りに続く脇道の町並み

 時間は早いが中津川駅に戻り、帰りの特急電車と長野新幹線のキップを買った。何時もは往復キップを買ってくるのだが、今回は余震や停電などで何時鉄道が止まるかもしれないため、往きの片道キップだけであった。今日は幸い雨にも降られなかったし、電車も定刻通り運行された。何時もながら車窓を過ぎる木曽谷の景色は本当に素晴らしい。標高の高い須原あたりにはまだ桜が咲いていた。次回からの中山道巡りは東海道新幹線で名古屋経由になるだろうと考えながら木曽路に別れを告げた。