中山道69次宿場巡り

(2010年Ⅱ期)

 

10.08.18(水) 福島宿、上松宿

 

 今月は日本の自然を描く展の開催月である。今年は優秀賞をいただいたので、Ⅰ期、Ⅱ期を通じて展示されることになった。展示期間中に何回か会場の上野の森美術館に出向いて友人・知人の案内をした。その合間に盲腸ガンの術後1年目の検査も受けた。幸いこれまでの検査で異常は認められなかったが、重要な検査がまだ下旬にもある。中山道へ行くには今週後半しかない。幸い天気予報も良いのでホテルを予約。電車のキップを購入するため大宮駅に行ったら、現在は繁忙期なので「大人の休日」割引は利用できないという。知らなかったのは迂闊であったが、ホテルも既に予約したし、伸ばすとスケジュールが窮屈になるばかりなので実行することにした。

 大宮駅発8:17長野新幹線に乗り、長野駅で名古屋行きの特急に乗り継いで、木曽福島着11:30。木曽路のど真中に午前中に着けるのだから便利になったものだ。キャスターを駅のコインロッカーに預け、タクシーで福島関跡へ。今日も非常に暑い日で、標高700m以上あるという木曽福島も予想以上に暑い。

 関所跡は福島宿の江戸側はずれに位置し、木曽川よりかなり高い場所にある。いざという時には関所を閉じて、江戸側に攻め入れないよう木曽川左岸の険しい崖上に作ったのだそうだ。現在は関所下に国道が出来、それほど急峻な地形には見えないが、関所跡から中山道の町並みや木曽川対岸の家並みがよく見える。現在関所跡は資料館になっており、時間を気にしながら館内をざっと見学。厳しかった女改めや鉄砲改めの資料など興味を引かれたが、絵になる景色を探すことが目的なので先を急ぐ。

福島関所跡
福島関所跡
女改め実際
女改め実際
関所跡からの眺め
関所跡からの眺め

 関所跡から「上の段」へ。関所の隣に代々関所番を勤めたという高瀬家の大きな屋敷があった。島崎藤村の親戚でもあり、藤村の作品のモデルにもなっているらしい。残念ながら全体を捉えられるアングルが見つからない。

 福島宿は昭和の大火で宿場の中心部を消失したが、「上の段」に僅かに昔ながらの水場や土蔵などが残っていた。

上の段の町並み1
上の段の町並み1
上の段の町並み2
上の段の町並み2
水場のある酒蔵と露地
水場のある酒蔵と露地

 上の段から坂道を下り小さな川沿いの道を辿って中山道に戻った。中山道の橋の袂に蕎麦のくるま屋があった。木曽路では有名な店らしいが、生憎この日は定休日で店は開いていない。腹は減ったが、その前に今日一番の目当てである木曽川沿いの崖屋造り(懸崖造り)へ。木曽川に架かる行人橋の上に出ると、木曽川左岸に川岸から空中にせり出して建つ家々が目に飛び込んできた。まるで積み木を重ねたようだ。行人橋の上下だけでなくさらに上の橋の上流部まで連なる光景は圧巻である。木曽川の急流や周囲の山々に映え非常に美しい。資料によると福島は代官所の陣屋町としても栄えたそうだ。平野部の狭い地形なので、川端ギリギリまで地割りをした結果生まれた苦肉の工法であろう。崖屋造りの家並みを、橋上から、対岸から、上流から、下流から、最後に橋を下りて水辺からも写真を撮った。

崖屋造り1
崖屋造り1
崖屋造り2
崖屋造り2
崖屋造り3
崖屋造り3

 目標にしてきた崖屋造りと上の段をゆっくり散策出来たので、予定を早め次の下り電車で奈良井宿か漆器の里平沢に移動することにした。すぐ駅に戻ればまだ間に合うはずである。駅まではかなり長い登り坂であった。ホームに下り電車が入ってきてから、うっかりキャスターを駅のコインロッカーに入れたまま忘れていることに気がついた。中央本線の普通電車は昼間は2時間に1本しかない。このようなミスは取り返しがつかないので非常に痛い。仕方なく再度予定を変更して、次の上り電車を待って、今回の計画になかった上松宿へ行くことにした。地図は置いてきたが、前に調べた記憶を頼りに何とかなるだろうと考えた。
 上松駅に降りてから駅員に尋ねたらコインロッカーはないという。暑い中先が思いやられるが、駅前には荷物をあずかってくれそうな店もない。駅前のベンチで休憩中の女子高生達に中山道への道を聞いて、先ずは昔の面影が残るという上町(かんまち)へ向かう。上松宿も度重なる大火で宿場の殆どを失ったそうだ。上町までの途中にも古い民家はあるが連なる町並みはない。やがて宿場北のはずれに向かって道路が左に湾曲しながら緩やかな下り坂になると、前方に資料で見た町並みが現れた。短い距離であるが、昔の面影を残す古い民家群が坂道の両側に軒を連ねていた。どの家も屋根の高さが幾分低いように見えるのは気のせいだろうか。

 上松宿は昔から木曽ヒノキなどの集散地で、今も木材の市場がある。上松駅の西側にあるはずなので行ってみることにした。上町からの道は分からないが兎に角木曽川に向かって下ってゆけばそのうち見つかるだろうと考えた。中央本線のガードをくぐってからも駅を巻くようにどんどん下ってゆく。やがて木材工場地区の中に入り道路は平坦になった。木曽川と中央本線の間の僅かな平地に製材所や木工所が軒を連ねている。このあたりから見ると上松駅は高い崖の上である。

 帰り道が気になったが木材の集積場所がなかなか見つからない。市売りのための駐車場があったがその近くにもない。工場の前で仕事をしていた人に尋ねてみたが要領をえない。木曽川べりも歩いてみた。このあたりは川幅は幾分広く流れも緩やかだ。昔は「木曽の中乗りさん」の操る筏がこのあたりに接岸したのだろうかなどと想像した。
 上松には2時間弱しか居られないのに木材集積所は結局分からなかった。諦めて駅への道を尋ねながら何とか下り電車に間に合った。
 予定通り5時前にホテルにチェックイン。先日泊まって気に入った旅館のような塩尻駅前のビジネスホテルだ。シャワーをあびて汗を流し、カンビールで一息入れた。初日から計画は狂ったが、それなりの成果があったように思う。ビールが旨い。酒類は苦手だが、ビールの旨さはかいた汗の量に比例するようだ。

上松宿町並み1
上松宿町並み1
上松宿町並み2
上松宿町並み2
木曽川畔の木材工場地区
木曽川畔の木材工場地区

10.08.19(木) 贄川宿、奈良井宿

 

 今日の木曽地方の天気予報は良くない。午後から時々雨とのこと。今日は贄川、平沢、奈良井の順に塩尻から近いところから回る予定であったが、順番を逆にして奈良井を午前中に終えることにした。あとは天候次第である。

 塩尻発8:16の中央本線普通電車に乗り、奈良井着8:36。奈良井宿は駅から南へ100mほど、宿場に一歩入るとそこはもう現代からいきなり江戸時代にタイムスリップしたような別世界であった。狭い坂道の両側に昔ながらの切妻・出桁・袖ウダツの町屋が延々と連なっている。これまでに見てきた宿場とはあまりにも違う光景を目のあたりにして正直息を呑んだ。写真を撮りながら宿場のはずれ鎮神社まで時間をかけてゆっくり歩いた。1kmくらいはあるだろうか道路は蛇行しながら広くなったり、狭くなったり、緩やかな坂道もあって、何処を撮っても絵になる景色であった。さすが多くの先達が町並み景観日本一に推されるはずである。奈良井を午前中にしたのは正解であった。観光客もまばらで、路駐の車も少なく、通りの片側には日が当たり、片側は日陰となってそのコントラストが実に美しい。

 鎮神社から引き返し、旧旅籠の越後屋や伊勢屋のある上町の町並みを立ったまま1枚万年筆(イカ墨インク)でスケッチ。奈良井宿では最もポピュラーなアングルの一つだ。観光案内所になっている建物の前の長椅子に座ってそこから南側の景色をもう1枚描いた。時間が経過するにつれ人出も徐々に増えてきたようだ。

下町の町並み
下町の町並み
鎮神社より上町
鎮神社より上町
中町の町並み
中町の町並み
伊勢屋
伊勢屋
上町の町並み
上町の町並み
伊勢屋玄関
伊勢屋玄関

 この後奈良井駅に戻り、塩尻行きの下り電車で隣の木曽平沢へ。若い頃なら歩ける距離だが・・・。平沢は贄川宿と奈良井宿の間にあるいわゆる間(あい)の宿である。昔から漆器の里として栄え現在に至っている。往時は奈良井宿に曲物などの店が多かったそうだが、今では平沢が中心になっている。駅前から漆器の店が並び、通りの両側は殆ど漆器店である。奈良井のように古い家ばかりではないが、切妻・出桁・袖ウダツの店もある。中心部の店は奈良井よりも建物ががっしりとして新しい。修復して間がないのかも知れない。かく丸漆器店前の町並みを1枚スケッチしてから駅に戻った。
 平沢はこのあたりでは一番大きな町であるが、無人駅で駅前には食堂もない。食べはぐれないよう木曽路へは弁当持参で行くのが賢明だ。腹が減ったので、電車を待つ間に昨日塩尻駅で買った特大どら焼きを食べた。そのうち空模様が怪しくなってきた。ホームにいた線路管理の職員に聞くと、西の方はすでに雨だそうだ。昨夕も薮原あたりは豪雨だったとか。

平沢町並み1
平沢町並み1
平沢町並み2
平沢町並み2

 電車が6分ほど遅れて到着。次の贄川で降りるか、諦めてそのまま塩尻まで行くか迷った。次の下り電車まで3時間近くも間がある。携帯用の雨傘はあるが、レインコートを持ってこなかった。贄川駅に着く頃また空が晴れてきた。塩尻のホテルに戻って退屈するより、1枚でも写真を撮りたい欲求が勝ち贄川駅に降りた。
 贄川宿も度々の大火で宿場の殆どを焼失し、古い町並みは残っていない。北のはずれに復元した贄川関所跡があった。主として木曽ヒノキの曲げ物など加工品の密搬出を取り締まったらしい。南のはずれあたりに切妻・出桁造りの商家、深沢家があった。裏の土蔵などを含め塩尻市文化財になっている。これまで見てきた木曽路の宿場には必ず水場があった。贄川にも街道沿いに何箇所か水場がある。火事が多かったので、昔から水場は大事にされてきたそうだ。深沢家の前にも通りを隔てて水場があり、車を止めてペットボトルに水を汲む人や顔を洗う人なども。二つの流出口から水が勢いよく流れ出している。手と顔を洗ってみた。冷んやりとして気持ちがいい。

 宿場の規模が小さいので、あっという間に宿場のはずれまで来てしまった。関所跡は描くには日陰がないし、その他に描きたい対象も見つからない。時間を持て余していると、塩尻市のコミュニティーバスが通りかかった。反対方向だったので、塩尻方面行きのバス停を探して時刻表を見ると次のバスは20分後であった。塩尻市地域振興バスという小型バスである。どこまで乗っても1回100円。採算がとれないので撤退する民間の路線バスに替わって、自治体が運営するこのようなコミュニティーバスが各地で増えている。市内循環バスが100円バスになってしまった自治体もあるそうだ。

 バスを塩尻駅前で降り、ホテルに着いたとたんに雷が鳴り雨が降り出した。間一髪とはこんな時に言うのだろう。昨日は思わぬ手違いから大きく予定が狂ったが、今日はツキもありほぼ予定通りであった。何よりも静かな朝の奈良井宿をゆっくり散策できたのが良かった。フロントで中山道六十九次の広重・英泉等の版画集を借りた。 

贄川関所跡
贄川関所跡
深沢家
深沢家

10.08.20(金) 薮原宿、宮の越宿

 

 今日も木曽地方の天気予報は午後3時以降は雨とのこと。ホテルを8時前にチェックアウト。食堂にいた女将が玄関まで出て来て挨拶。ビジネスホテルでは、旅館などとは違って、ホテルの従業員との接触が少なく、フロント以外の場所で言葉を交わすことは殆どないのが普通である。Aホテルも例外ではない。他のビジネスホテルと若干違うのは、建物も四角いビルではなく、外観が切妻型であることや、1階の食堂から和風の庭が眺められるなど部分的に旅館のような雰囲気がある。どうやら家族で運営しているようだ。女将は飾り気がなく話しやすい人柄で、このような人が切り盛りしている小規模なホテルだから、館内も小ぎれいで、どことなく旅館のようになるのだろう。Aホテルに泊まったのは2度目であるが、ホテルのHPは必要な情報を適切に提供しているとは思えないし、最も大事な予約手続きがサーバーエラーで中断することがあり、他のホテルなら全てNetで済むのに電話を掛けることになる。HPの内容やシステムを改良すれば、もっと人気が出るだろうにと今回も思った。

 昨日と同じ塩尻駅8:16発の中津川行き普通電車に乗った。今日の予定は宮の越宿と薮原宿である。宮の越駅で下車したのは自分一人だけ、乗る人もいなかった。ここも無人駅、駅前には何もない。駅から坂を下って中山道を越し、木曽川に架かる橋を渡ったところに木曽義仲館があった。先年新築したばかりでまだ真新しい。ここはパスしてその先にある徳音寺に向かう。徳音寺には巴御前の騎馬像があるというので立ち寄ったのだが、本堂の前にあるお河童頭の騎馬像はどことなくモダンすぎる印象であった。境内はさほど広くはないが、山門、本堂、義仲霊廟など非常に古い建物ばかりで、山門の傍に咲く桔梗の花が、綺麗に清掃された寺院の庭によく似合う。

 宮の越にも旧い建物はほとんど見当たらなかった。昔は街道の中央にあったという水路を東側に寄せ、道幅が広いところもあり町並みも広々とした印象を受ける。

 駅からは遠いが木曽義仲が平家討伐の旗挙げをしたという旗挙八幡宮へも行ってみた。神社は中山道から離れ、宮の越の町が一望できる木曽川左岸の高台にあった。木曽谷を見渡すには絶好の地形である。義仲はこの辺りに館を構えたらしい。現在は赤い鳥居と小さい社の傍に、太い鉄柱で支えられたケヤキの大木があるだけである。案内板によると樹齢800年のご神木で太い注連縄が付けられている。、義仲元服の祝いに植えられたとの言い伝えがあるらしい。雷と台風の被害を受け幹は二つに裂け、途中で折れている。その隣にもう1本のケヤキがあり、こちらも樹齢160年の大木である。前のケヤキの子木として生育してきたらしい。こちらもご神木である。この後、宿場の南のはずれあたりまで歩いたが、昔の面影はほとんど残っていなかった。

徳音寺山門
徳音寺山門
旗挙八幡宮
旗挙八幡宮
徳音寺本堂と巴御前騎馬像
徳音寺本堂と巴御前騎馬像
ケヤキ御神木
ケヤキ御神木
宮の越宿町並み
宮の越宿町並み
旗挙八幡宮より宮の越宿
旗挙八幡宮より宮の越宿

 宮の越駅11:18発の下り電車で薮原に移動。薮原駅の北側に中央本線の線路をくぐる小さい地下道があり、地下道を抜けると中山道である。薮原宿はお六櫛の産地として名高く、今もお六櫛を売る店が営業している。宿場に入ってすぐ、昔ながらの店構えのお六櫛問屋「満寿屋本店」があった。宿場の北のはずれには旅籠跡「こめや」が今も旅館を営んでいる。薮原には僅かではあるが昔の宿場の面影が残っていた。

 こめや横の路地を入り、右の坂を上がると薮原神社と極楽寺がある。極楽寺からは薮原の町が一望できた。薮原神社は極楽寺横の赤い鳥居のある階段を上ってさらに拝殿まで何回か坂道と階段を上る。拝殿は針葉樹の大木に囲まれて晴天なのに薄暗いほどであった。

 駅への帰り道にあった酒屋の店先で、流水で冷やしたラムネを飲んだ。薮原にも水場があり、流量も豊かでしかも冷たい。贄川宿から木曽路に入って福島宿まで、どの宿場にもどこかに水場があった。宿場の生活と水との深い係わりを感じた。

満寿屋本店
満寿屋本店
極楽寺
極楽寺
こめや前の町並み
こめや前の町並み
薮原神社
薮原神社
中央本線と薮原の家並み
中央本線と薮原の家並み
薮原の水場
薮原の水場