中山道69次宿場巡り

(2009年Ⅱ期)

09年04月30日(木) 坂本宿・碓氷峠

 

 明後日5月2日から息子家族が大宮に来ると昨日電話があった。数日泊まっていくらしい。連休後は日本の自然を描く展の作品作りだ。坂本に行くには明日しかないなと急遽坂本行きを決めた。碓氷峠「覗き」にも行ってみたいので少し早出しなければ。

 今日は朝から風もなく穏やかな晴天だ。大宮発7:29高崎線に乗る。勤め人ならちっとも早くはないが、普段は8時頃に起きている身には辛い。高崎で信越線に乗り換え、終点の横川には9:46到着。横川から坂本へ秋の紅葉時には臨時バスがあるらしいが今はない。歩いても30分ほどだが時間が惜しいので横川駅でタクシーを呼ぶ。タクシーは松井田から来るらしい。タクシーが来るまでの間、駅の近くを歩いてみたが、横川駅の線路沿いの路地や駅の構内も電車が停っていれば絵になる風景だ。10:10頃タクシーに乗り、碓氷峠登山口に10:20頃着く。運転手さんの話では以前は横川にもタクシーはあったそうだ。信越本線横川・軽井沢間が廃線になり、新幹線が開業してから、状況ががらりと変わってしまったと嘆いていた。上信越自動車道が開通して18号線の交通量が激減したうえに見舞われたダブルパンチに地元は喘いでいるようだ。

 

横川駅前の路地
横川駅前の路地
横川駅構内
横川駅構内

 登山口から「覗き」までゆっくり登って約30分、登り一方の山道だがさほど息も上がらず、この程度ならまだ大丈夫だ。覗きまであと一息といったあたりに刎石山の名前の元になった「柱状節理」の露出場所があった。案内によると火成岩が冷却するとき亀裂して四角形や六角形に割れたものだとか。山道には割れた石があちこち散乱していて非常に歩きにくい。途中ガレ場のようになった部分もあり、落石注意の立て札まであった。柱状節理を過ぎるとやがて道端に石碑群が現われる。南無阿弥陀仏、大日尊、馬頭観世音の三つである。今は細い山道にすぎないが、昔は街道であった名残であろう。やがて右に石垣のある急坂を登ると、急に視界が開け明るくなった。「覗き」だ。

柱状節理
柱状節理
石碑群
石碑群
「覗き」から坂本宿
「覗き」から坂本宿

 妙義山塊を前方右に小じんまりとした坂本盆地を南北にはしる18号線(旧中山道)が太い筋となって蛇行している。ここから見る坂本宿の家々は皆小さい。周囲は新緑に覆われ、資料で見た通りの雄大な眺めだがスケッチするのは難しそうだ。紙は4号と6号しか持っていない。とりあえず2時間ほどかけ6号1枚スケッチ。この間に通ったハイカーは登り一人、下り2組3人だけであった。皆さん軽井沢へ、あるいは軽井沢からであった。中高年ハイカーが連日のように溢れる奥多摩や丹沢に比べたら、ウイークデーとはいえ連休に入っているのにと意外であった。しかし、こんな素晴らしい眺めを独占して絵を描けるなんて滅多にあることではない。吹き抜ける初夏の風は爽やか、紙面に落ちる木漏れ日が眩しい。

 登山口まで下山したあと、アプト道をめがね橋へ向かう。信越線の旧アプト式線路が撤廃された跡がハイキングコースになり、現在は横川駅からめがね橋(碓氷第三アーチ)まで、3年後には熊ノ平まで伸びるという。めがね橋まで30分ほどずっと一定の角度で登り道が続く。途中に5つのトンネルがあった。レンガ造りのトンネルで、トンネルの入口と出口がみな絵になるように思われた。やや長い5つ目のトンネルを抜けるとめがね橋だ。橋を渡るとまたトンネルだが入口が閉鎖されている。今はアプト道はここまで。アプト道終点から右手の階段を下に降るとレンガ造りの巨大なアーチ橋が木の間ごしに現われる。

アプト道めがね橋上
アプト道めがね橋上
めがね橋
めがね橋
めがね橋より上流の眺め
めがね橋より上流の眺め

 アプト道はすでに人気コースになっているのか行き帰りに何組ものグループに出会った。帰路中山道への道を間違え、途中で出会った人達に坂本宿への道を訊ねても誰も知らない。横川駅からアプト道を往復するだけなのか、中山道の宿場町など関心がないらしい。近くに昔の宿場があって本陣や旅籠などが残っていることも全く知らないようだ。武州路、上州路の宿場を歩いてみてこれは共通して感じたことだ。そこに住んでいる人達も普段意識していないためか、旧中仙道や旧宿場の場所を聞いても知らない人が多い。地元の人すら関心がないのには度々驚かされた。

 坂本宿へは何とか方角的な勘を頼りに戻れたが、すでに上の木戸から大分南に来ていた。上の木戸あたりに数軒残るという「斜交いの家」を外してしまったが、急に疲れも出てもう戻って確かめる気力も失せた。そのまま18号線を南下する。坂本宿には本陣跡や旅籠跡など古い建物が残っているが1軒だけで連続しない。18号線の道幅が広く、空き地もあって街並みとしてはやや散漫な印象を受けた。

坂本宿町並み
坂本宿町並み
本陣跡
本陣跡
坂本宿下の木戸
坂本宿下の木戸

 横川駅に近くなると道幅も狭くなり、碓氷関所跡あたりからの街並みはやや街道らしくなる。関所跡は東門だけ復元したものであるが、石段や周りの樹木と調和して美しい。横川駅前には峠の釜飯で有名な荻野屋が古い建物で営業していた。信越本線の横川・軽井沢間が廃線となってからはデパートなどイベント出店が営業の中心になっているらしい。

 横川駅16:31発高崎行きに乗り、大宮には18:33帰着した。

碓氷関所跡
碓氷関所跡
横川の町並み1
横川の町並み1
横川の町並み2
横川の町並み2

09年06月20日(土) 板橋宿

 

 今日はまだ行ったことのない板橋宿を訪ねてみることにした。賑やかなところが好きな家内も同行したいと言う。巣鴨地蔵通商店街が今日の目的地だからだ。

 巣鴨駅を降りると、白山通り(17号線)を左に分れた旧中山道が巣鴨地蔵通商店街である。今日は商店街は大変な人出で、とても道端でスケッチなど出来そうにない。とげぬき地蔵のある高岩寺前の風景を何枚かカメラに納める。折角なのでとげぬき地蔵尊にお参りしたかったが、大勢の参拝客が行列を作っている。仕方なく本堂にだけ参拝する。
 「おばあちゃんの原宿」とも言われる商店街の中は、どこも中高年で溢れている。年寄り向けの洋品店などが通りの両側に並んでいる。家内は帽子などを手にとってみてデパートよりも安いと言っていた。商店街を500mも進むとめっきり人通りが少なくなる。途中交差する脇道も何箇所か覗いてみたが絵になりそうな路地裏は見つからない。700mくらい進んだであろうか、都電荒川線の踏切があった。踏切りの両側に「庚申塚」という小さな駅がある。東京に残った唯一の路面電車だ。

 今日はこのあと巣鴨駅前に戻って六義園を見る予定であったが、折角だからと計画を変更し、レトロな路面電車に乗って見ることになった。家内も郷里の市電を思い出して懐かしくなったのだろう。庚申塚駅から王子駅前までは20分ほどであったが、途中の駅ごとに乗降客があり、電車内は常に満員であった。沿線の住民にとって重要な生活路線になっているようだ。

巣鴨地蔵通商店街
巣鴨地蔵通商店街
高岩寺
高岩寺
都電庚申塚駅
都電庚申塚駅

09年06月23日(火) 板橋宿(再訪)

 

 先日は板橋宿の入口で終わっていたので、今日は残したところを歩く予定であるが、グズグズしているうちに出発が遅くなってしまった。今日も起点はJR巣鴨駅だが、都営三田線に乗り換えて板橋本町へ。板橋本町駅で下車し、途中の商店などで道を訊ねながら中山道「板橋」へ。「板橋」は石神井川に架かる橋だが、中山道板橋宿の中心部に位置し、板橋の地名発祥の源でもありどうしても外せない。「板橋」までの中山道は古い八百屋なども残る商店街である。

 「板橋」を石神井川を入れて描けないか期待していたが、両岸の桜並木が生い茂り、川面がよく見えない。橋の欄干もコンクリート製で表面を板のように塗装したものだ。周囲を歩いて何枚か写真を撮ったが、なかなか構図が難しい。橋詰めのケヤキや桜はもう真夏の緑である。葉が落ちた頃か桜の花が咲いた頃また来ようと思う。

板橋
板橋
石神井川と板橋
石神井川と板橋
板橋本町商店街
板橋本町商店街

 板橋本町駅に戻って都営三田線「志村坂上」へ。志村一里塚は志村坂上駅のすぐ南にあった。志村一里塚は道路の左右にほぼ完全な形態で残っている全国的にも貴重な史跡である。現在の榎は、道路の拡幅などにより植え替えられて三代目とか。大きく見事な枝振りであるが、すでに濃緑で描くのは難しそうだ。

東側の塚の隣に古い竹屋があった。屋号を見ると齋藤商店とある。かなり古い建物だ。齋藤商店の存在は知らなかったのでうれしい発見。路地に入ると、奥にいた主人らしい人に声をかけられた。写真を撮りたいというと快くOKしてくれた。店の裏側や竹の倉庫なども撮らせて貰った。

志村一里塚
志村一里塚
齋藤商店
齋藤商店
齋藤商店と一里塚
齋藤商店と一里塚

 志村坂上駅から都営三田線を南下し千石駅へ。千石駅周辺を歩いて、資料で見た伊勢五商店を探したが、どうしても見つけられない。千石本町商店街など一巡りしてみたが駄目だった。帰ってから調べて分ったのだが、千石本町商店街のすぐそばまで行きながら見逃していたらしい。諦めて中山道を東大前まで歩いてみたが、これといった良いモチーフはなかった。西片の住宅街や白山の路地へは又の機会にし、南部線東大前駅から帰路に。

09年07月27日(月) 本庄宿

 

 今月は暑さに怯んでまだ中山道宿場を訪ねていない。今日の天気予報は曇り、午後3時から雨とのこと。気温も30度以上と暑いが、来月のHP更新のためには今日あたりがリミットだ。10時過ぎの大宮駅発高崎線快速アーバンに乗り、本庄駅着10:57。本庄駅から宿場の西のはずれ「かなさな神社」まで片道だけタクシーを利用し、かなさな神社から中山道を東へ歩いて戻ることにした。

 かなさな神社は本庄宿の総鎮守、1700年代に建立されたという拝殿は朱塗り、神楽殿や大門など古い建物群は立派だがスペースがなくアングルが難しい。建物よりも境内を覆うクスノキの古木(県指定文化財)やカヤの大木(市指定文化財)などが魅力的だ。何枚か写真に撮ってから中山道に戻る。 中山道沿いや裏道にはぽつぽつと古い建物が点在するものの街並みは平凡だ。

かなさな神社1
かなさな神社1
かなさな神社2
かなさな神社2
境内の御神木
境内の御神木

 宿場の中ほどに建つローヤル洋菓子店は、旧本庄商業銀行の繭蔵を利用したそうだ。赤レンガ造りの倉庫のような巨大な建物(国有形文化財)は周りに異彩をはなっている。建物の南側の狭い路地が面白いと思い、裏通りから1枚スケッチ。

 近くに纏屋があるはずと探したが見つからない。旧本陣の門が移設保存されている本庄資料館は旧本庄警察署跡である。洋館造りの建物は面白いが、1軒だけなので写真を撮って諦めた。旧本陣門とのコントラストを狙ってみたが良いアングルがない。

 数年前の彩の国を描く会で描いたことのある喜久鮨の路地に行ってみたが、鮨屋の古い建物はすでに取り壊されて空地になっていた。今日一番の狙い目でもあったのでガッカリ。

 路地の南にこんもりとした森が見えるので、行ってみたら愛宕神社という小さな社があった。根本から二本に分かれたケヤキの大木や長年踏みしめられた狭い石段など風情がある。
 本庄城跡にある城山稲荷も予定していたが、2時頃から雨が降りだしたので早々に帰路についた。              

ローヤル菓子店
ローヤル菓子店
旧本庄警察署跡
旧本庄警察署跡
ローヤル菓子店の路地
ローヤル菓子店の路地
愛宕神社
愛宕神社

09年12月26日(土) 熊谷宿

 

 天気予報では昼前には晴れるとのこと。気温も熊谷では14度、まずまずの天気だ。どうしても年内に終えたかった熊谷に行くことにした。武州路・上州路で唯一つ外していたからである。和田宿までという当初の計画が頓挫したので、せめて武州路・上州路だけでも年内にやり遂げたかった。8月に盲腸がんを切り、11月に前立腺の手術と続いたので中山道へは5ヶ月ぶりである。彩の国を描く会8月例会が熊谷市街だったので、その機会にと残していたのだが・・・。

 大宮駅から快速アーバンに乗り熊谷駅着9:29。JR熊谷駅は長瀞や秩父方面への秩父鉄道乗り換えのため何度か降りたことはあるが、駅の外へ出るのは初めてである。駅前ロータリーには熊谷次郎直実の騎馬像があった。熊谷は直実の生誕地だそうだ。先ずは駅から近い筑波三丁目の熊谷紺屋跡に行ってみた。星川沿いに数軒残るという旧染物屋を探したが、それらしいのは1軒だけであった。熊谷は、戦時の空襲で市街の殆どが焼失したうえ、17号線(旧中山道)が拡幅され、旧街道の面影は消えてしまったようだ。星川も水路工事が完成して公園のようになっている。ポツポツと古い建物が単体で残っているが町並みは平凡だ。

 空襲から免れたという高城神社に寄ってみた。熊谷直実の氏神であり熊谷宿の総鎮守。境内にはケヤキなどの高木もあり、アングルは難しいが描く対象はありそうだ。もう境内のあちこちで正月を迎える準備が始まっていた。

星川
星川
高城神社
高城神社
高城神社御神木
高城神社御神木

 高城神社から近い熊谷寺にも立ち寄ってみたが、門が閉まっていて中に入れない。仕方なく外から山門など写真を撮る。熊谷寺まで来ると、八木橋デパートはすぐそこだ。旧中山道がデパートの店内を通るという珍しい場所である。デパートの表玄関と裏玄関を結ぶ通路が旧中山道だという。裏口には「旧中山道跡」の道標があった。

 八木橋デパート前の17号線沿いに竹井本陣跡の案内板と標柱があった。竹井本陣も戦災で失われたが、敷地1600坪、建坪700坪(47部屋)、中山道のみならず日本一大きい本陣であったそうだ。今は八木橋デパートの西に本陣の別邸であった星渓園が残っているだけである。星渓園は池と建物が見事な庭園であるが今は公園になっている。

熊谷寺
熊谷寺
八木橋デパート
八木橋デパート
星渓園
星渓園

 星渓園からは秩父鉄道上熊谷駅が近い。上熊谷駅に向かう途中に「川菊」というウナギ屋があった。川菊も向かいの民家も出桁造りの古い建物だ。狭い路地だが昔の面影を感じさせる。店の前で仕事をしていた主人としばらく雑談。主人の話では昭和20年8月13日の夜半から14日未明にかけて空襲があり、熊谷は焼け野原になってしまったそうだ。終戦が近いという噂もあり市民の多くは家で寝ていたので死傷者も多かったという。陸軍の学校が熊谷にあったかららしいが、せめて終戦が2,3日早ければとの思いが強かったであろう。

 上熊谷駅に着くと、上り電車は出た直後であった。熊谷駅まで歩いて戻ることにし、星川沿いの道や南本町商店街を通ってみた。南本町商店街と17号線(中山道)の間に大露地商店街があった。歩道に旧いアーケードのある昭和の面影を感じさせる商店街である。

川菊の路地
川菊の路地
南本町の民家
南本町の民家
大露地商店街
大露地商店街