山居倉庫1(山形県酒田市)   F4

 

江戸時代に米の集積・積み出しで栄えた酒田湊。山居倉庫はそのシンボルです。案内によると山居倉庫は、明治26年(1893年)、酒田米穀取引所の付属倉庫として建造、今も現役の倉庫として活用されています。土蔵造りの黒い巨大な倉庫が12棟も連なり、倉庫群の背後を囲むケヤキ並木が見事でした。ケヤキ並木は冬の日本海からの西風と夏の西日を避けるためだそうです。

 

山居倉庫2    F4

 

山居倉庫の正面。木造の山居橋を渡り、対岸から見た景色です。倉庫群は新井田川沿いに建っており、昔は小鵜飼舟(こうがいぶね、小型の和船)で物資を輸送したそうです。倉庫前の川端に小鵜飼舟が展示されていました。山居倉庫は裏側の板壁とケヤキ並木が有名ですが。表の白漆喰壁も美しく絵になる眺めです。耐熱・放熱のため二重構造になった屋根など特徴も良く分かります。新井田川の対岸から川岸に係留する漁船を入れて描けないか周囲を歩いてみましたが、良いアングルがありません。小鵜飼舟が川面に浮かんでいれば最高でしたが・・・。

 

鈴漁港1(山形県鶴岡市) 28X41cm

  

鈴の集落を北側の小さな岬から遠望した景色です。バスの車窓から見て、良いなと思いバスを降りこの場所まで戻りました。鈴漁港は右端に見える岩の左ですが、船は堤防の陰になりここからは見えません。前方に見える大岩は、「暮坪の立岩」という夕日の名所だそうです。岩の陰には神社があり、岩には注連縄が掛けられていました。この辺りは羽越本線もトンネルが多く自動車道と並んで走っています。

 

 

鈴漁港2   26X36cm

 

山形県南の海岸線、庄内浜の小漁港です。10隻ほどの小船が陸にあるだけです。自然の岩や岩礁を利用し、港湾を形成する突堤もありません。このあたりは海岸線が非常に綺麗な景勝地です。十数年前、ロシア船が鈴の海岸に座礁し、大量の重油が流れ出して深刻な被害を受けたことがありましたが、ちょっと見ただけではその痕跡は分かりませんでした。羽越本線あつみ温泉駅から鶴岡駅行きの路線バスで来ました。羽越本線も三瀬までは海岸を走りますが、各駅とも無人駅が多くタクシーもありません。海岸線に点在する漁港へは路線バス利用が便利です。

 

 

寝屋漁港1(新潟県村上市)  F5

 

新潟県北、山形県境に近い寝屋漁港の一景です。港と裏山との間の僅かな平地に密集する家並みを、裏山の中腹にある神社の階段から俯瞰しました。白い灯台のある突堤の外にも大きな波除け堤防がありましたが省きました。寝屋はこの辺りではかなり大きな漁港です。折りしも操業を終え次々と帰港する漁船をカメラに収めることが出来ました。先年、新潟経由で鶴岡・酒田に旅をした時、海岸線を走る羽越本線の列車の車窓からみた景色が印象に残っていました。

 

 

 

 

 

寝屋漁港2      F4

 

裏山の中腹にある石動(いするぎ)神社への階段を探すため、民家の路地裏を歩きました。下見板張りの日本家屋が多く、道は狭いながらもところどころに手入れされた植栽や植木鉢も並び、塵一つ落ちてなく非常に綺麗で温かみのある生活空間を感じました。港の岸壁や船の上で仕事をする人を見かけましたが、住宅街では全く人に出会うことがなく、話し声も聞こえません。港の岸壁に並行しうねうねと続く細い路地を、冬の厳しい気候と生活に思いを馳せながら歩きました。

 

 

 

筒石漁港1(新潟県糸魚川市) F4

 

筒石漁港の舟屋群です。小型漁船の格納庫兼作業場です。高い堤防で囲われた港の中ですが、筒石には港外にも外海に面して舟屋の並ぶ場所がありますから、港が出来る以前から狭い海岸線に舟屋があったのでしょう。舟屋の中にある漁船や揚船用のウインチなどもモチーフとして魅力的でした。今回は港外の舟屋群を見落としたため、機会があれば再訪したいものです。

 

 

 

筒石漁港2    F5

 

水上勉の小説「越後つついし親不知」の題名にもなった筒石へは、以前から一度訪ねてみたいと思っていました。昔から北陸道の難所として旅人に恐れられた崖下の急峻な場所というイメージでした。右は筒石の中心街ですが、土地が狭いため居住空間を確保すべく民家は上に伸び木造3階建てになっています。狭い通りの両側にびっしりと軒を連ねています。旧い民家も点在し、通りに面して流し台を設けるなど漁師町特有の生活空間を形成しています。なおJR北陸線筒石駅のプラットホームは長いトンネルの中でした。暗くて狭いホームに立っていると、特急電車が通過する度、強風と騒音に驚かされます。駅舎は長い階段を上った地上にあります。上越線の土合駅に良く似ています。

 新湊内川1(富山県射水市) F4

富山港から西へ流程約1.8km、運河のような内川です。両岸には漁船がびっしりと係留されており、川に沿ってレトロな板張り倉庫や民家が並んでいます。遠くに残雪の立山連峰。富山ならではの贅沢な眺望です。高岡駅前から路面電車万葉線に乗り新町口駅で下車しましたが、万葉線の各駅に、大伴家持の「湊風寒く吹くらし奈呉の江に妻呼び交わし鶴さはに鳴く」の歌が掲げてありました。案内によると奈呉の江は今の新湊一帯を指し、天平20年旧正月29日(748年3月2日)の作とされています。昔人がまだ寒い早春の頃、都からはるばる越中富山まで旅をしていたことに驚きました。当時このあたりは雄大な雪の立山連峰を背景にして入江に無数の鶴が飛びかう名所だったのかも知れません。   

 

新湊内川2     F4

 

アングルを変え左岸の下見板張りの倉庫群に焦点を当ててみました。今は一部をカフェなどに利用しているようです。漁船も表日本ではあまり見かけない型ですが、富山湾の定置網漁船だそうです。ダンベ船のようなずんぐりした形態の船がずらっと並んでいるのは壮観です。富山湾は漁獲される魚や甲殻類の種類が多いことで有名ですが、全ての魚種に対応できるような構造になっているのだろうと推測しました。両岸の裏通りは住宅街です。古い民家も点在し、風情のある漁師町を形成しています。