美濃路

 

 岐阜県下の落合宿から今須宿までの16宿場が美濃路です。なお馬籠宿は先年、中津川市と合併して長野県から岐阜県に併合されました。長野県内では賛否両論があったそうですが、住民は歴史よりも現実生活の利便性などの経済性を選んだのでしょうか。

 木曽路は平地が狭く谷も深いため田畑が殆どなかったのですが、馬籠宿を過ぎると空が広くなり、恵那山の山裾には田畑も広がります。穏やかな山河を縫って西に進む美濃路は旅人にとっては安心して歩ける道であったように思われます。

 また美濃平野・濃尾平野を西に進み、近江盆地を経て京に至る戦国武将らの天下取りの道でもありました。幾多の戦乱を生き延びた城砦や、壬申の乱、関ヶ原合戦など「つわものどもの夢のあと」もありました。

 しかし、明治の濃尾地震や先の空襲で壊滅的な被害を受け、宿場遺構を失ってしまった宿場が殆どでした。唯一大湫宿は桃源郷のような穏やかな山野に囲まれた小さな宿場ですが、今も生活を営みながら旧い町並みを守っています。10数年も前ですが、保存に努めれば「第二の妻籠」になり得ると今井金吾氏がその著書の中で推奨しています。私には今からでも遅くないと思われました。

 なお旧街道の面影が希薄になってしまった宿場が多かったため、宿場町ではありませんが、岩村城下町、犬山城下町、川原町など中山道から近い歴史的な町並みも訪ねてみました。