30.塩尻宿 (長野県塩尻市) JR中央本線塩尻駅より徒歩20分

 

塩尻宿1     F4

 

塩尻宿西のはずれにある堀内家です。妻入り本棟造りの外観は、周りを威圧するような存在感があります。「雀踊り」(スズメオドシともカラスオドシとも)と言われる特異な棟飾りです。堀内家は庄屋を務めた豪農で、この建物は18世紀末に建てられたそうです。

塩尻宿は、中央本線塩尻駅から2.5kmも離れていますが、文政年間(1818~30年)と明治の大火などで大半が焼失し、昔の面影はほとんど残っていませんでした。中山道下大門交差点に松本街道と中山道の追分(分岐点)がありました。松本街道は「塩の道」でもあり、新潟からの塩と、静岡からの塩の終着点として塩尻という地名になったそうです。四方を山に囲まれた信濃は特に塩が貴重でした。「敵に塩を贈る」話は有名ですが、海が無いのに塩尻、塩名田、日出塩など塩のつく地名が多いのも面白いところです。

 

 

塩尻宿2     F4

 

塩尻宿東のはずれに古い建物と新しい建物が混在する昭和の町並みがありました。昔は中山道一の旅籠数(天保14年、75軒)を誇った塩尻宿も、明治以降は塩尻駅前を中心に都市化、工業化が進み、旧宿場は時代の流れからも取り残されてしまったようです。この絵の前方左に永福寺がありますが、鄙には稀な堂々たる伽藍です。また宿場西のはずれにある阿禮神社も広い境内に鬱蒼と茂る鎮守の森と古色蒼然たる社は、塩尻宿の往時の繁栄を今に伝えています。神社仏閣しか残っていないのは寂しい限りですが・・・。

31.洗馬宿 (長野県塩尻市)  JR中央本線洗馬駅より徒歩1分

 

 

洗馬宿1    F4

 

洗馬宿の東のはずれに中山道と善光寺街道の分去れ(追分)がありました。上は分去れの中山道側にある古い土蔵と旅籠のようにも見える民家です。中央本線建設の際、洗馬駅に本陣敷地を取られたり昭和の大火で宿場をほぼ全焼して、洗馬には現在古い建物など殆ど残っておりません。旧跡に案内板や碑があるだけでした。

 

洗馬宿2    F4

 

宿場の中ほどに満福寺の赤い門があり、その隣に風格のある古い民家がありました。洗馬は、木曾義仲がこの地に湧く清水で疲れた馬を洗ったら元気を取り戻したという故事に因んでつけられた地名だそうです。その「大田の清水」は洗馬宿の東のはずれにあるそうですが、今回は行けませんでした。しかし、平安時代にすでに洗馬牧の地名があり、木曾義仲の故事は伝説に過ぎないとも言われています。

32.本山宿 (長野県塩尻市) JR中央本線日出塩駅より徒歩20分

 

本山宿1    F4

 

本山宿は、中央本線日出塩駅から東に約2kmと離れています。この日は非常に暑く、標高800m近いこの辺りでも日中の気温は31度との天気予報でした。洗馬駅も日出塩駅も無人駅でタクシーもありません。遮蔽物が何も無い照り返しの強い道路を歩くのは苦痛でした。しかし、汗をかきながら来た甲斐がありました。白い袖ウダツのある昔ながらの旅籠の町並みが残っていました。屋号の表札を掲げた家もあります。山も近く大きくなり、いよいよ木曽谷の入口にさしかかったという印象です。次の贄川宿から木曽路です。本山宿からの帰りは、丁度通りかかった市営コミュニティーバスに乗り塩尻駅前に戻りました。塩尻市地域振興バスという名称で塩尻駅前~奈良井駅前間など1日数便運行しています。

 

 

本山宿2    F4

 

前の絵の反対側(東)の眺めです。手前の旅籠群は間口の広い切妻平入り、出桁造りの立派な建物です。2階の連子格子が非常に美しく、正面から1本1本丁寧に描いてみたい衝動を覚えます。しかし、時間と緻密な労力が必要なので気の短い軽輩には無理でしょう。それぞれの家が道路に対して斜めに建てられた、宿場防衛のための「斜交(はすかい)の家」です。屋号の看板も京都側がかな書き、江戸側が漢字になっていました。