崎津漁港(熊本県天草市)  F4

予てよりの念願であった天草崎津へ行ってきました。長崎茂木港より天草下島へ船で渡り、路線バスを乗り継いでの一人旅でした。昨年4月に計画していた熊本経由天草行が、東北大震災のため断念したこともあり、この景色をまのあたりにした時は感慨もひとしおでした。崎津天主堂の裏はすぐ漁港の岸壁です。漁村の真ん中にある教会は漁船や日本瓦の家並みとよく調和しています。帰りのバスを待っている間に、自転車で通りかかった親切な地元の方が崎津港の全貌が撮影できるベストスポットに車で案内しましようかと誘ってくれました。しかし最終バスの時間まで10分ほどしかなかったため、断らざるをえなかったのが残念です。その後、自分が撮影したという朝モヤに浮かぶ崎津港などの風景写真を10枚ほどバス停まで届けてくれたのには感激しました。そんな僥倖にも恵まれた天草の旅でした。

 

崎津漁港2   F4

 

崎津は天草下島羊角湾の最奥部にある天然の良港です。かなり大きい漁港で、港内に200mほどの長い突堤があります。その突堤の先端からの眺めです。過日、NHKで放映されたドラマ「永遠の泉」に、主人公(寺尾聡)が病身の妻を背負って眺めたのはこの景色でした。ドラマの主題でもある阿蘇山中の水源も素晴らしかったですが、私には主人公の妻の故郷天草の風景が強く印象に残りました。今回は長崎から日帰りの慌しい旅でしたが、またゆっくり行ってみたいなと思いました。天主堂を含む崎津集落全体が世界遺産候補です。

       

 

 

 

崎津天主堂    F4

 

崎津天主堂の正面を街並みの一部を入れて描きました。道路が湾曲しているため、背後の街並みが入らないのが残念です。資料によると崎津天主堂は禁制が解けてから3回建て直し、現在の天主堂は昭和9年(1934)ハリブ神父により建てられたそうです。長崎の教会の多くを施工した鉄川与助の設計です。ゴシック風のコンクリートと木造の混構造建築物です。尖塔のある前の部分がコンクリート、後ろが木造です。内部の床は教会には珍しい畳敷きです。崎津も古い家屋が段々失われつつあり、この絵の左の民家も建て変わったばかりのようです。世界遺産登録となれば大変名誉なことですし、行政も住民も街並み保存にさらに力を入れることになるでしょう。登録成功を祈念したいと思います。

 

 

 

大江漁港を望む    F4

 

大江天主堂から大江漁港を見た景色です。大江天主堂はこんな長閑な山里に囲まれています。キリシタン禁教令(1587年)後、明治政府が禁を解くまで300年もの間厳しい弾圧に耐え、信仰の火を守り続けたキリシタンの歴史を伝える天草ロザリオ館がすぐこの下にありました。島原・天草の乱(1637~1638)で全滅したはずのキリシタンが、160年余の後に天草で一度に5000人も検挙されたという”天草くずれ”(隠れキリシタン発覚事件)の実態などが詳細に紹介されていました。

 

 

 

大江天主堂    F4

 

大江天主堂はバス道からさらに上がった山の中腹にある教会です。白亜の天主堂は下からも良く見えます。昭和8年、ガルニエ神父が私財を投じて建立したという天草のシンボルです。明治40年(1907)の夏、与謝野鉄幹と当時学生であった北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里の5人の詩人が、長崎茂木から暴風の中を船で天草富岡に渡り、徒歩で大江天主堂のバーテルさん(ガルニエ神父の愛称)を訪ね東京に書き送った紀行文「五足の靴」や、後に世に出た北原白秋の「邪宗門」はあまりにも有名ですが、今回はからずも「五足の靴」と同じコースを高速船とバスで辿りました。