17.坂本宿・碓氷峠(群馬県安中市)   JR信越線横川駅徒歩30分

 

 

坂本宿の街並み    F4

 

坂本宿中ほどから碓氷峠刎石山を見た街並み。左の大きな家は佐藤本陣跡です。複数の資料によるとこの建物は旅籠小竹屋となっていて、小竹屋の右(西)に上の本陣があったとあります。しかし、現地ではこの建物の前に佐藤本陣跡の案内板が立っていました。坂本宿には古い旅籠も残っていましたが、18号線の道幅が広いうえ、空き地などもあって家並みが疎らでした。ハイキングなど観光客も坂本宿を通らないで横川駅からアプト道を往復しているようです。かつて碓氷関所と碓氷峠を東西に控えた宿場として坂本宿は栄え、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠40軒を数えたそうです。

 

 

碓氷関所跡     F4

 

碓氷関所は古くは碓氷峠を行く旅人や荷物の警護、江戸時代にこの場所に移されて「入り鉄砲に出女」の監視が主な目的となります。現在は東門だけ復元保存され、横川の旧中山道脇にひっそりと立っています。近く関所祭りがあるのか、横川から坂本宿にかけてあちこち幟が立っていました。

 

 

横川街並み     F4

 

横川駅に近い旧中山道の街並みです。中山道と川沿いの山道との交差点にウダツのような黒い袖壁を持つ店がありました。坂本よりも横川に昭和の田舎を思わせる街並みが残っていました。

 

 

 

坂本宿鳥瞰     10F

 

碓氷峠「覗き」から見た坂本宿です。登山口から覗きまでは凡そ30分ほどですが、途中には展望できる場所も無くかなりきつい登りが続きます。昔の旅人になったつもりでゆっくり登りました。箱根よりも難所といわれた刎石坂を登りきるといきなりこの景色が眼前に開けました。妙義山など周囲の山々は一面の新緑に覆われて別世界のような光景です。一茶はここで「坂本や袂の下の夕ひばり」と詠んでいます。しかしそこには上信越道が開通して18号線の交通量が激減し、さらに長野新幹線開業により信越本線が横川・軽井沢間で分断され、時代の変化に翻弄されてきた坂本宿の現実の姿も見えました。

 

 

碓氷峠1     F4

 

碓氷峠刎石坂の石碑群です。南無阿弥陀仏、大日尊、馬頭観世音の三つでした。この峠道が中山道であった名残です。こんな険しい道を旅人だけでなく、参勤交代の大名などの馬や籠も通ったのでしょうか、今では想像すらできません。街道であった時は道幅ももっと広かったのでしょうが、今はごく普通の登山道です。この後方に向かって一登りすると「覗き」です。

 

 

碓氷峠2     F4

 

刎石坂ですが、今はご覧のように荒れた登山道です。碓氷峠は柱状節理の岩山であるため、風化して崩れた岩の欠片が転がっている足場の悪い道です。途中の石垣も自然石を無造作に積んだだけで今にも崩れそうでした。数年前にも石碑のある峠道を描いたことがあります。若い頃好きだった新緑の低山ハイキングを思い出しながら描きなおしました。

 

 

アプトの道    21X25cm

 

JR横川駅から旧信越線碓氷第三アーチ(めがね橋)まで線路跡が現在遊歩道となっています。かつてアプト式(ラックレール式)線路が敷かれていたことから「アプトの道」と呼ばれています。現在はめがね橋が終点ですが、途中にはこのような古い煉瓦造りのトンネルが五つもありました。軽井沢まで11.2kmの間に26のトンネルと18の橋梁があったそうですから、まだほんの入り口です。めがね橋に向かって一定の角度で緩やかな昇り坂が続きます。この日はウイークデーでしたが何組ものハイキンググループと会いました。人気コースのようです。

 

 

めがね橋    F4

 

アプトの道はめがね橋の上ですが、これは旧18号線からの眺めです。案内によるとレンガアーチ橋として国内最大(長さ91m、高さ31m)、明治25年建造、その後の補強工事で支柱も太くなり、アーチ部分も厚くなったそうです。設計は英国技師パゥネルと古川晴一、深谷と川口のレンガを使って約7ヶ月で完成したとか。とにかく深山に忽然と現われた赤いアーチ橋は巨大で美しかったです。(日本近代化遺産として国の重要文化財指定。)