札幌時計台(北海道札幌市)  F5

 

函館、札幌、小樽、余市へ新幹線と在来線を乗り継いでの鉄道旅行を敢行。札幌時計台は十数年前にも描いたことがありますが、今回再訪してみて周りの樹木が随分大きくなったなと感じました。建物が樹木の陰になり良いアングルが見つからないため正面から描くことにしました。札幌時計台の正式名称は「旧札幌農学校演武場」です。案内によると札幌農学校の開校にあたり教頭として招かれたクラーク博士の提言により、生徒の兵式訓練や入学式・卒業式を行うための講堂として、明治11(1878)年に設立。その後札幌農学校が現在の北大の地に移ってからは、札幌市のシンボリックな文化施設として利用されてきました。

   

 

北大第2農場   F4

 

旧札幌農学校第2農場の牧牛舎。クラーク博士は北海道開拓のため、大農経営構想に基づき一戸の酪農家の模範農場をこの地に造ったそうです。ここは雌牛の飼育・搾乳所でした。この建物の陰には種牛舎もあります。ここで飼育されてきたホルスタイン種は今日まで血統が維持され、その中の優良種は北海道の基礎牛となって現在も酪農の発展に貢献しているそうです。第2農場には模範家畜房や穀物庫など日本最古の洋式農業建築物が現存し、多数の農機具なども含め重要文化財に指定されています。一般にも公開されているため、スケッチポイントとしても人気があり、この日も穀物庫を写生する人を見かけました。

   

 

 

北大キャンパス   F4

 

北大キャンパスの一景です。農学部前には旧札幌農学校時代の遺構が点在します。右は札幌農学校がこの地に移転した頃(1902年)に建てられた旧図書館です。近くには旧昆虫学及養蚕教室や古河講堂(旧林学教室)などもあります。ハルニレ(英語名エルム)と芝の新緑が赤い屋根に映えていました。

 

 

北海道庁旧本庁舎    F4

 

通称「赤れんが」と呼ばれる札幌のシンボルです。歴史的には北海道のシンボルでもあります。案内によると明治維新、旧蝦夷地から北海道と改められ、開拓使時代、札幌・函館・根室3県時代を経て明治19年(1886)に北海道庁が発足、明治21年(1888)に本庁舎が竣工しました。アメリカ風ネオ・バロック建築(設計平井晴二郎)ですが、「独立と進取の精神」を表したかったそうです。前庭の花壇の花は既に終わっていました。

 

 

ニッカウイスキー1(北海道余市郡余市町) F4

 

ニッカウイスキー余市蒸留所正門です。とはいっても正面ではなく裏側です。小樽まで来たついでに余市まで足を伸ばしました。先年のNHKの朝ドラ「マッサン」の影響です。マッサンとリタのロマンの地をこの目で確かめて見たかったのです。広大な蒸留所構内を横断する見学コースから外れることは許されず、短い滞在時間では、創業者竹鶴政孝が余市の自然にウイスキーのメッカ、スコットランドの「ハイランド」を重ねた熱い想いを感じることは残念ながら出来ませんでした。

 

ニッカウイスキー2   F4

 

正門を入って右側の乾燥棟、糖化棟、醗酵棟と連なるメインストリートです。通りの向い側に蒸留棟、混和棟がありました。モルトウイスキーの製造工程の順に並んでいます。大谷石に似た地産の砂岩を積んだ重厚な外壁とトンガリ帽子の赤い屋根のユニークな建物です。広大な平地に実に贅沢にゆったりと配置されています。スコットランド風なのでしょうか?生前のリタさんは好んで蒸留所の中や余市町内を散歩されたそうです。マッサンと結婚してイギリスを離れ、生涯一度も帰国するがなかったリタさんには、ここは遠く離れた故国に似た風景だったのではないかと推察した次第です。

 

 

 

 

カトリック元町教会(北海道函館市) F5

 

函館市の魅力の一つはキリスト教会群と修道院ではないかと思われます。その数も長崎市に次いで多いそうです。案内によると1877年(明治10年)に建てられた初代の元町教会は、キリスト教解禁前に建てられた国内最古の木造教会でした。その後2度の大火で消失し、現在の大鐘楼等は1924年(大正13年)に再建されたものです。元町教会のすぐ上に函館のランドマークとも言えるハリスト正教会があります。この日最初に訪ねたハリスト正教会は生憎修復工事中で大鐘楼は鉄ヤグラとシートで囲われていました。