57.垂井宿 (岐阜県不破郡垂井町) JR東海道本線垂井駅から徒歩7分

 

 

垂井宿町並み   F4

 

宿場中ほどの南宮大社鳥居前の町並みです。中山道は鳥居前で参道と交差しており、交差点北側に一風変わった蔵がありました。正面奥が南宮大社で、垂井の地名ともなった「垂井の泉」がありました。大ケヤキの下に清水の湧く池がありましたが、ケヤキの幹と太枝が思い切り低い位置で切られてしまって絵になりません。垂井はこの湧水で漉いたという美濃紙を産業とし、東海道大垣道(当時はこちらを美濃路といったらしい)を分岐する交通の要衝にあり、宿場町として、また南宮大社の門前町として栄えました。しかし、現在の垂井には社寺のほかには旧街道の面影は殆ど残っていませんでした。

 

58.関ヶ原宿 (岐阜県不破郡関ケ原町) JR東海道本線関ケ原駅前

 

 

 

 

 

西の首塚    F4

 

宿場中ほどにあった「西の首塚」。関ヶ原の合戦で敗れた西軍の将兵の首を埋葬したと言い伝えられています。枝切りされたケヤキの大木が僅かに紅葉していました。中山道は国道21号線となって車の通行が非常に多く、建物などで遮られ古戦場も見えません。旧道沿いに不破の関跡があった他、街道の風情はほとんど残っていませんでした。

59.今須宿 (岐阜県不破郡関ケ原町) JR東海道本線関ケ原駅前よりタクシー(約4km)

 

 

今須宿町並み   F4

 

宿場中ほどの町並み。レトロな建物が並んでいますが、袖ウダツのある家は見当たりません。建てられた年代はさほど古くないのかもしれません。この絵の後方右側に問屋場跡がありました。今須は雪深い土地柄から冬場の難所として、問屋場(運搬のための人馬の中継所)が7軒も置かれていたそうです。1軒だけ完全な状態で保存されていましたが、単体で連ならないため描きにくい建物でした。現在の今須は公共交通の大変不便なところでした。東海道本線関ケ原駅と柏原駅の中間にあり、数年前まであった路線バスは廃止され、今はコミュニティーバスもありません。関ヶ原駅からタクシーを利用しましたが、帰りもまたタクシーを呼び柏原へ移動しました。

 

 

今須問屋跡   18X26cm

 

現在1軒だけ残る問屋跡(山崎家)です。広大な屋敷から当時の繁栄振りがうかがえます。昨年今須宿の町並みをHPに掲載した時、問屋跡は1軒だけ独立しているため描きませんでした。その後、山崎家の関係の方から、小生のHPを見て大変懐かしかったというメールを頂戴して恐縮しました。そんなこともあり、問屋跡も是非描いておかねばと思い、撮っておいた写真から描きました。