大浦天主堂(長崎市)   F4

 

大浦天主堂だけをまともに正面から描くと、絵ハガキのようになってしまうため、天主堂前の坂道の一部を入れて描いて見ましたが、これもやはり絵ハガキですか。夕刻、天主堂の閉館後に行ったため観光客も疎らで、ゆっくり写真を撮ることが出来ました。グラバー園も近いため昼間は修学旅行生や外人グループなどでこの通りは大混雑です。

 

 

浦上天主堂     F4

 

長崎への原爆投下により爆心地に近い旧浦上天主堂はほぼ全壊しました。案内によると旧浦上天主堂は、明治28年(1895)から信徒が赤レンガを1枚ずつ積み上げ、約30年かけて建造され、東洋一の大聖堂とも言われたそうです。現在の天主堂は戦後再建されたものですが、旧天主堂と同じ場所に建てたため、被爆遺構の大部分が撤去され今では僅かしか残っていません。上は天主堂の前に現在も残る聖人像3体(全部で14体あったそうです)と外壁の一部などです。聖人像も頭部、鼻、指などが倒壊によって欠けたままです。

 

 

眼鏡橋     F4

 

長崎の観光名所の一つ、眼鏡橋を西詰の水辺から見上げた景色です。眼鏡橋は十数年前にも描いた記憶がありますが、このアングルは初めてです。案内によると寛永11年(1634)に造られた日本最古の石橋だそうです。中島川には現在11基の橋がありますが、石橋が多く橋巡り観光コースにもなっています。4月中旬に訪ねた時は、眼鏡橋から中島川右岸沿いに形の異なる個性的な石橋群を眺めながらそぞろ上流へ諏訪神社を目指しました。ここからは寺町も近く、長崎の日本的な情緒を味わえる地域とも言えそうです。

 

桃渓橋     F4

 

桃渓橋(ももたにばし)は下流の眼鏡橋から数えて10基目の石橋です。中島川の上流堂門川に架かる橋です。案内によると延宝7年(1679)に建造された旧い石橋です。昭和57年(1982)の長崎大水害により一部崩壊し、1985年眼鏡橋とともに復元したそうです。堂門川はこの橋の下流で日見峠・蛍茶屋方面からの支流一ノ瀬川を合わせ中島川となりやがて長崎港大波止にそそぎます。上は中島川合流点の階段を下り、水際から見た堂門川上流の眺めです。昔は桃の名所だったそうですが、今も市街地の真ん中とは思えない緑豊かな景色でした。

 

 

 

 

ドンドン坂     F4

 

ドンドン坂は初めて描きましたが、これといったポイントがないため描き難いなと思いました。坂を上って左が修道院マリア園(養護施設)の裏門です。その昔、幼稚園であった頃には園児が毎日ドンドン坂を歩いて通ったのだそうです。このあたりには煉瓦塀や洋館が点在し、旧居留地の面影が残っています。  

 

 

 

 

祈念坂       F4

 

大浦天主堂の横を通り、大浦展望公園に上がる坂道です。石畳や煉瓦塀など旧居留地の遺構も魅力があります。大浦展望公園からの東山手方面の眺望は山上の赤い屋根の活水女学院や青い屋根の海星学院など非常にエキゾチックです。長崎に来たときは必ず訪れます。坂道の両側に大浦天主堂、妙行寺、大浦諏訪神社があり、地元では「祈りの三角ゾーン」とも呼ばれるているそうです。

    

 

 

 

へいふり坂      F4

 

寺町の大音寺と皓台寺の間にある坂道。このさき風頭山上に通じる数百段の長い坂段(石段坂)が続く。坂段の両側は墓地になっており、樹木が生い茂り昼間でも人けがないところは怖いくらい。 スケッチポイントを探しながら風頭山まで登り、再びこの場所まで降りて描きましたが、急な登り降りに膝がもうガクガク。急坂を駈けるように降りていく地元の人?にはびっくりしました。

         

 

 

 

オランダ坂     F4

 

活水女子大学下のオランダ坂です。中央の洋館は東山手十三番館(元フランス領事の私邸?)。何時だったか坂上にある活水の正門前から東山手十三番館の屋根を入れて描いたことがあります。このアングルでは初めてです。丁度下校時間だったのか坂上からカラフルな装いの女学生グループが次々と下りてきます。点景に加えたかったのですが、迷っているうちに通過してしてしまい諦めました。観光客の人気スポットでもあるらしく、描いている間に2組の外人(中国人?)グループにカメラのシャッターボタン押しを頼まれました。

      

グラバー園      F4

グラバー邸です。日本最古の木造洋風住宅として「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成遺産の一つになり、世界遺産に認定されました。これまでグラバー園は何度も訪れましたが、何故か絵に描いたことはありません。グラバー園から俯瞰した港の眺めなどを描いたことはありますが、グラバー邸などの建物を描いたことはまだありません。庭園などがきれいに整備され過ぎている感があり写真を撮っても描くことはありませんでした。しかし、こうして見ると洋館造りとはいえ、伝統的な日本瓦葺きで鬼瓦まで使われています。いわゆる和洋折衷です。グラバー園のすぐ下にあるマリア園もそうですが、長崎・平戸や天草で見たキリスト教会群も和洋混淆でした。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産申請も決まりました。日本大工の匠の技が使われた教会建築が世界の目を驚かせる日もそう遠くないのでは。

    

 

 

 

マリア園     4F

 

長崎南山手のカソリック系養護施設マリア園です。すでに何回か描きましたが、何時もは植木の陰になって見えない右側の日本瓦の建物部分が良く見えたので、門の中に入って写真を何枚か撮らせて貰いました。植木の剪定をした直後だったようで幸運でした

    

 

 

 

 

聖福寺     F4

 

長崎四福寺の一つ、聖福寺の大雄宝殿です(他に興福寺、福済寺、崇福寺)。延宝5年(1677)に創建されたという黄檗宗の名刹です。他の唐寺とは異なり赤を押さえた落ち着いた伽藍が好ましく、何度か描いたことがあります。大雄宝殿の他にも古色蒼然とした山門、鐘楼、天王殿なども魅力的です。境内に「じゃがたらお春」の石碑がありました。