埼玉の風景
結婚を機に東京都杉並区から埼玉県春日部市に引っ越してすでに50年余り経ちました。現在はさいたま市民です。大宮に移転してからもすでに30年以上になります。子供たちは埼玉が生まれ故郷ですし、私にとっても人生の大半を過ごした第二の故郷です。しかし、大宮や埼玉県が身近に感じられるようになったのは、私が水彩画を描き始めてからでした。
「誰でも一生懸命100枚描けば一応見られるようになる」という趣旨の大下藤次郎氏の「水繪の勧め?」に触発され、週末に自宅周辺の身近な風景を写生することから始めました。その頃は浦和との市境に近い大宮市最南端の町に住んでいました。近くで描けるところは殆ど描き尽くし、やがて氷川参道から氷川神社、大宮公園と描くエリアを段々広げていきました。まだ会社勤めがあったため、週末になるのを待ちかねて大宮公園に通うようになりました。当時は公園内のボート池には赤い貸しボートがあり、ボートやボート小屋は格好の題材でした。毎週のように大宮公園でスケッチをするうちに、本気で公園の傍に引っ越したくなりました。やがてもっと便利な所をと反対する家族を説得して大宮公園に近い現住所に引っ越しました。移転してからは近くなった盆栽町・土呂町や市民の森、大宮第二公園、大和田台地など写生の範囲がさらに広がりました。その後縁あってスケッチ同好会「彩の国を描く会」に入会することになり、毎月のスケッチ会に参加しながら写生範囲は埼玉県全域に広がっていきました。
このところ「みなとの風景」というテーマを追っているため、県外に出かけることが多くなり、海なし県の埼玉を描く機会がめっきり少なくなりました。私が絵を描き始めた原点は大宮です。「みなと巡り」が一段落したら、また身近にある風景にも取り組んでみたいと考えております。