中山道69次宿場巡り

(2011年Ⅳ期)

11.10.17(月)  大津宿

 

 天気予報はまずまず。今回は中山道宿場を巡る旅の最終回である。京都や近江八幡など観光名所もあるため家内も同行することになった。

 東京駅発10:03、ひかり467号にて京都駅着12:48.JR琵琶湖線の電車で大津駅に戻り、ホテルのバスで湖岸にあるOホテルへ。家内がNetで探した宿である。少し早めのチェックイン。部屋は33階にあり、窓からの琵琶湖や湖岸の眺めが素晴らしい。しばし休憩してから大津宿の探索に向かう。タクシーで大津宿の中心部である札の辻へ。札の辻は京都山科から北上した中山道が東に向きを変え、西に北国街道を分ける交通の要衝である。古い資料には札の辻に旧い町並みが残るとあったが、今は中山道側にも北国街道側にも旧街道の面影は希薄であった。札の辻から中山道を駅前通りとの交差点まで歩いたが平凡な町並みである。裏通りにも旧い家は点在するが宿場の風情はない。諦めて瀬田の唐橋までバイパスすることにした。京阪電鉄浜大津駅から坂本石山線の電車に乗った。車体にカラフルな絵を描いた2両編成の路面電車である。途中の停車駅にもレトロな佇まいがあり、降りてみたい駅もあったが先を急ぐ。唐橋前駅を降り、大通り(中山道)を東に進むと瀬田の唐橋である。手前の小さい橋を渡って、次の大きい橋が瀬田の唐橋である。琵琶湖から流れ出す瀬田川に架かる橋の一つである。西側の川岸から良いアングルがないか探したが、なかなか良い構図が見つからない。

 向こう岸に渡り、橋の東側からの構図を探す。東側から描いた絵を幾つか見たことがある、実際にその場に立ってみると、やはり想像した以上に描くのは難しそうだ。川岸にはボートも何艘か係留されているが、ボ-トを入れたアングルもしっくりこない。平凡だが川岸の樹木を入れての構図が無難かもしれないと思った。

 橋の下流左岸に小さい社があり、日本三大名橋「瀬田の唐橋」の石碑があった。瀬田の唐橋は日本書紀にも登場するという旧い橋だが、交通の要衝にあるため、戦乱のたびに壊されては建て替えられてきたそうだ。資料によると木造からコンクリートになったのは昭和54年(1979)であるが、欄干の擬宝珠は歴代受け継いできたものだという。この日は瀬田川の川面は非常に穏やかで、時折りカヤックなど競技ボートが橋の下をスピードを上げて漕ぎ下ってゆく。

 夕刻になりJR石山駅を経由してJR大津駅へ戻り、バスでホテルに帰った。大津へ来たのは初めてであるが近代的な大都市である。山と湖が見える緑豊かな坂の町(湖岸へ向かう道は全て下り坂)であった。 

大津宿町並み
大津宿町並み
東岸より瀬田の唐橋
東岸より瀬田の唐橋
瀬田の唐橋東詰より
瀬田の唐橋東詰より

11.10.18(火) 近江八幡、守山宿、草津宿

 

 9:15ホテル発のシャトルバスでJR大津駅へ。JR琵琶湖線の下り電車で近江八幡へ。駅前から路線バス(近江鉄道バス)に乗り八幡掘へ向かう。八幡掘の一つ手前のバス停「新町通り」でバスを降り、白壁土蔵造りの建物が並ぶ町並みを見学しながら歩く。八幡掘の核心部である八幡神社前へはすぐであった。橋の下に降り、水路沿いの遊歩道をゆっくり散策した。落葉樹は僅かに紅葉しており、遊歩道に沿って水際には菖蒲が群生している。初夏の頃の花菖蒲の色を想像しながら歩いた。この日は風もない大変穏やかな天気であった。石垣、白壁の土蔵、小さい橋、樹木など周りの景色が鏡のような水面に映り非常に美しい。どこを描いても絵になる風景に見えた。しかし、実際に描くのは難しそうだ。絵を描く難しさの喩えとして、「空・道三年、水八年」とよく言われる。特に川面や海面を平に描くのは難しいとされている。周りにある物の色や形が映り込んでいれば尚更であろう。

 八幡神社の鳥居の前にあった白雲閣に戻り、2階のギャラリーで「近江八幡の祭り」の展示を見学。白雲閣は旧八幡東学校を復元したという塔のあるユニークな建物である。

 同行した家内がヴォーリズの洋館が見たいというので、八幡掘りに近い旧八幡郵便局を探す。八幡掘りから東に伸びる仲屋町(すわいちょう)通りに入ってすぐのところに旧八幡郵便局があった。小さい洋館だが、黒い板壁の日本家屋を併設しており、周りの町並みとも調和している。アップで描いてみたい建物だが、玄関周りを修復して間がないのか部分的に真新しく見える。

 仲屋町通りの3本北にある慈恩寺町通りへ移動し、ヴォーリズの自宅跡であるヴォーリズ記念館を見学。道路から引いて建てられているうえ、前にスペースがなく描きにくい建物である。旧い学校のような板壁の建物だ。個人的には旧八幡郵便局のほうが良かった。

 このあと、近江商人の栄華の跡、土塀と土蔵造りの商家が並ぶ永原町通りを経て、バス停のある駅前通り(小幡町通り)まで歩き、路線バスで近江八幡駅に戻った。

八幡堀1
八幡堀1
旧八幡郵便局のある通り
旧八幡郵便局のある通り
八幡堀2
八幡堀2
ヴォーリズ記念館
ヴォーリズ記念館
八幡堀3
八幡堀3
永原町通り町並み
永原町通り町並み

 JR琵琶湖線で守山駅へ移動。守山宿と草津宿へは一人で行くことにし、宿場にさほど興味の無い家内は先に大津のホテルへ戻った。

 守山宿は守山駅から北へ歩いて5分ほど。駅前通りと中山道の交差点に東門院があった。この辺りが旧守山宿の本宿である。東門院は守山寺ともいい守山の地名ともなった古刹である。比叡山延暦寺は東西南北に門を置き、東門院はその名の通り比叡山の東門を守る寺として建立されたそうだ。中山道に面して古い仁王門があり、大きな赤提灯が山門に下がっている。東京の浅草寺雷門より門も提灯も小さいが、歴史的には東門院のほうが古そうだ。

 守山宿は本宿の東に加宿の吉身、西に今宿がある。本宿には旧い民家も点在するが連なる町並みはない。吉見と今宿に僅かであるが土蔵造りの町並みが見られた。
 東の吉見を見たあと今宿の西のはずれまで歩き守山駅に戻った。駅前の喫茶店で遅い昼飯。玉子サンドにアイスコーヒーを注文し、喉が乾いていたので出されたお冷とアイスコーヒーを一息に飲んだ。玉子サンドの値段が高いのとボリュームが多いのにちょっと驚いたが、これも平らげ、お冷もお代わりして2杯も飲んだ。この報いを草津で受けることになる。 

東門院
東門院
吉見の町並み
吉見の町並み
今宿の町並み
今宿の町並み

 琵琶湖線上り電車で草津へ。草津宿は駅前のアーケード街から始まる。入り口に「きたなか」(北中山道の意?)の表示があるアーケード街を抜けると天井川(道路の上を流れる川、旧草津川)を潜るトンネルである。トンネルを出ると左側に東海道と中山道の追分を示す道標の常夜灯があった。「右東海道いせみち、左中山道美のじ」とある。道標を過ぎて前方右に本陣跡があった。現存する本陣としては全国一の規模だという。非常に大きな蔵造りだが、本陣だけ独立しているためモチーフとしての魅力は今ひとつだ。横の通りを裏側にも回ってみたが良いアングルがない。さらに南へ進むと左側に脇本陣跡のそば屋があった。片側だけであるが旧い商家が数軒連なり街道らしい風情がある。

 先ほどからどうも腹の具合がおかしい。先年大腸がんの手術をするまでは、胃腸は丈夫で腹をこわすことは滅多になかったのだが。この辺りから見える前方南の町並みもあまり変化がなさそうである。大事をとって早めに引き返すことにした。トンネルまで戻り、天井川とはどんなものか見たかったので上に登ってみた。川幅は広いが水がない。川床に草が生えているだけである。橋があるのは水が流れる時もあるのだろうか。不思議な光景である。東海道との分岐点から東海道の少し先まで行ってみた。旧い建物も見られるが旧街道の面影はない。資料によると、昔は天井川の橋を渡って中山道に入ったそうである。

 そうこうするうちに軽い腹痛を覚えるようになり駅まで急いで戻ることにした。資料ではアーケード街の北、渋川一丁目あたりに旧い町並みが残るとあったが、とてもそこまで行く余裕がない。やっとの思いで駅に着き構内のトイレに駆け込み安堵した。腹の調子が治まるのを待って大津駅に戻った。外出中腹痛になり外のトイレを使ったのは何年ぶりであろうか。

きたなか商店街
きたなか商店街
脇本陣跡そば屋
脇本陣跡そば屋
本陣跡
本陣跡
天井川(旧草津川)
天井川(旧草津川)
本陣前の町並み
本陣前の町並み

11.10.19(水) 坂本、京都三条大橋

 

 9時頃ホテルをチェックアウト。フロントに荷物を預け、後で京都駅にあるホテルのウエルカムカウンターで荷物を受取ることにした。往路はこの逆も出来る。身軽になって観光できるため便利である。ホテル前から路線バスで京阪浜大津駅へ。(ホテルの従業員に尋ねたら、バスは浜大津駅の近くを通ると言ったが、実際にはバス停からかなり歩かなければならなかった。)

 浜大津駅で石山坂本線の電車に乗り坂本へ。坂本は延暦寺の門前町として栄え、延暦寺で修行した僧に与えられた里坊が50寺もあるという。比叡山の山裾に開けた町で、湖岸の傾斜地にあるため石垣の美しい町である。当初の計画では、坂本からケーブルで比叡山に登り、延暦寺などを観光した後、ロープウエーとケーブルで京都八瀬へ降りる予定であった。しかし、比叡山に登ってから山頂での道路の状況が良く分からない。あまり無理を出来る歳でもないので比叡山は諦め、坂本から電車で京阪三条へ行くことにした。坂本駅を出ると緩やかな登り坂の大通りがあり、通りのすぐ上には大鳥居が見える。大通りの向い側もこちら側も大きな寺院ばかりである。大鳥居を過ぎ坂道を少し登ったところで左(東)の脇道に入った。脇道の両側も寺院のようだ。道路の右側はずっと石垣である。野面積みの美しい石垣だ。寺院を描くのは苦手なので、綺麗な石畳の道をただ景色を眺めながら歩いた。やがて坂道を下ると旧い商家が並ぶ道に出た。どうやらこの道が「作り道」のようだ。資料などで見た旧いそば屋もあった。

坂本町並み1
坂本町並み1
坂本町並み2
坂本町並み2
坂本町並み3
坂本町並み3

 京阪電鉄線より下の地域の町並みも見たかったが、京都三条大橋へ早く行きたいという気持ちが勝り坂本を後にした。浜大津駅で京津線に乗り換え三条京阪へ向かう。京津線も路面電車のようだ。浜大津駅を出ると山間を蛇行しながら登り、やがて山科に向かって下ってゆく。京都の中心部と大津を結ぶ旧い鉄道なのにローカル色の濃い路線である。山科で降り旧街道の現状も見たかったが先を急いだ。地下駅である三条京阪駅から地上に出るとそこは三条大橋の東詰めであった。三年前にスタートした中山道69次を巡る長い旅もようやく満願?を迎えることが出来そうだ。

 三条大橋は欄干の他はコンクリート製である。日本橋よりも川も橋も格段に大きいため、近くで描くのは難しそうだ。橋の下に降りてアングルを探したが、対岸がビル街なので良い構図がない。これから祇園巽橋や先斗町にも行きたいのだが、先斗町は鴨川の対岸(西)にあるため、三条大橋と下流の四条大橋の間をぐるっと一回りしなければならない。三条大橋を渡り、西詰めでも川岸に下りてアングルを探したが、やはり良い構図が見つけられない。西側の河川敷には鴨川本流とは別の水路(みそそぎ川?)があった。この日は天気が良く暑いくらいである。橋の下の日陰には大勢の人が涼を求めてたむろしていた。橋脚の周りの川床は浅く流れも早い。三条大橋を川岸からアップで描きたいのだがちょっと自信がない。

 この日は三条大橋にもう一度戻ることになるが、一先ず先斗町へむかう。先斗町通りへは高瀬川沿いの木屋町通りから入ったが、想像していたよりもずっと狭い路地であった。先斗町歌舞練場を過ぎると路地の両側は提灯や看板の賑やかな飲食店街となる。二階に簾が下がり、路上に犬矢来のある店もある。墨字の提灯や看板が多い。どことなく洗練された印象をうける。間口は狭いが奥行きは深いのだろうか。東側の店の裏は鴨川の川原である。夏には納涼床を出す店も多いそうだ。家内と二人で提灯に灯がともる頃も見てみたいねと話しながら歩いた。

 やがて細い路地を抜け四条通りに出た。花街は四条通りを越えても続いていたが、四条通りを東に進み、四条大橋を渡り花見小路を目指した。四条大橋の上から三条大橋を遠望したかったからである。橋上から見る景色は実に雄大であった。中央を貫く鴨川の蒼い流れ、三条大橋の遥か遠くに鞍馬の山々、右に目を転じると比叡山から東山、近くの鴨川縁には先斗町街の裏の顔も見える。鴨川の流れは非常に綺麗だ。夏には鮎釣りをする人もいると聞いたが、鴨川の清流をみるとそれも納得できる。

 四条大橋を渡り、南座を右に見ながら四条通りをさらに東へ。このあたりの四条通りは八坂神社参道の趣きが強くなる。やがて一力亭を右に見て、花見小路を北に上がり祇園新町通りを目指す。祇園の中心部である花見小路の南側は明日散策する予定である。

 北側の花見小路は旧い商家も点在するが、大半は建て替ってビルが多い。新橋通りを左(西)に入ると、祇園らしい町並みになった。白川を渡ると辰巳大明神の赤い社を間に挟んで道路は三つに分かれる。右が新橋通り、両側に旧い町屋が並ぶ。べんがら格子に2階の長い簾が粋な茶屋街である。白川沿いの中の道が緑の多い白川南通り、一番左の道の白川に架かる橋が名高い巽橋である。この地域一帯が重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

 この後、新橋通りの北にある神門前通りと古門前通りの骨董品店街を歩いた。新旧混淆の町並みであった。古美術の看板は多いが、休日なのか店は閉まり店内を見ることは出来なかった。そのまま北に上がって再び三条大橋に戻り、西詰めにあったコーヒーショップでしばらく休憩。河原町通りを散策した後、バスで京都駅に移動し、駅前のSホテルにチェックイン。

三条大橋
三条大橋
南座
南座
祇園新町通り
祇園新町通り
三条大橋より四条大橋
三条大橋より四条大橋
辰巳大明神と新町通り
辰巳大明神と新町通り
骨董品店街
骨董品店街
先斗町通り
先斗町通り
巽橋
巽橋

11.11.20(木) 京都

 

 9時半頃ホテルをチェックアウト。京都駅のコインロッカーに荷物を預け、歩いて東本願寺へ向かう。家内の希望で立ち寄ったのだが、阿弥陀堂が修理中で建物全体が見えない。御影堂(本堂)に上がってお賽銭をあげた。実家の菩提寺が真宗大谷派の家内にとっては、東本願寺に格別の思い入れがあるようだ。

 東本願寺前からタクシーで花見小路へ。四条通りとの交差点でタクシーを降り花見小路を南へ下る。左の角にある一力亭は有名な茶屋だが、独特の赤い壁が美しい。花見小路の東西はべんがら格子に簾の美しい旧い茶屋街である。一階の庇も二階の屋根も高さが揃い整然とした印象を受ける。花見小路から東の脇道に入り、奥の路地も歩いてみたが、どこも小奇麗な町屋建築が並んでいた。今にも三味線の音が聞こえてきそうな風情があった。町屋の屋根の南側には弥栄会館の青い屋根も見える。その先には祇園甲部歌舞練場もあるはずだ。どうやらこのあたりが祇園の中核部のようだ。

 右に建仁寺を見ながら花見小路から東に直角に曲がる安井道に入る。東大路通りを越え下河原道に出ると間もなく石塀小路である。下河原道を空の人力車が駆けてゆく。続いてまた2台目が。見れば若い女の車夫である。すれ違うときにっこり笑った。カメラを構える間もなく走り過ぎていった。このあたりは東山の山裾の傾斜地なので東へ向かう路はみな緩やかな登り坂である。石塀小路は10年程前にもスケッチのため一度来たことがあった。狭い範囲だが瀟洒な茶屋や旅館が並ぶ京都らしい静かな町屋街である。石畳の通路の片側あるいは両側が石垣になっており、石塀のように見えることから石塀小路と呼ばれているそうだ。石塀小路を抜けると高台寺の下の高台寺道である。

 高台寺道から一年坂、二年坂と緩やかな坂道を上がった。この道も昔通った記憶がある。二年坂の印象も昔とあまり変わらないようだが、何処かすっきりとしているのは電柱がなくなったからだろうか。階段の上に白い傘を飾ってあるのも変わっていない。紅葉シーズンまでには間があるが、この日もかなりの人出であった。二年坂を上がり八坂道を左に上がれば三年坂(産寧坂)、清水坂である。今回は八坂道を右に下り、八坂の塔(法観寺五重塔)を見たい。中山道の終点として三条大橋の他に何を描けば良いかを考えた時、先ず頭に浮かんだのは八坂の塔であった。昔も今も京の街のランドマークである八坂の塔は外せないと思ったからである。二年坂に近い八坂道の上から見た塔の眺めも良かった。八坂道を下るとやがて法観寺の正面に出る。八坂道をさらに下り、正面から見上げる五重塔が最もポピュラーな構図である。塔に近い八坂道の両側は旧い民家ばかりで風情がある。しかし、近くから見る五重塔は仰角が大きいため、塔の屋根が重なってしまい、背景の東山も視界に入らない。やはり塔から離れ、東山が見えるあたりからのほうが良さそうだ。魚捨という魚屋の前あたりからの眺めが良いと思った。魚捨とは変わった店名だが何か由来があるのだろう。

 三条大橋に近い祇園や八坂の塔の景色も鑑賞でき、今回の旅の京都での計画を全て終えることが出来た。再訪したい宿場もあるが、長かった中山道宿場巡りの旅は一先ず終了することになるだろう。

花見小路
花見小路
石塀小路
石塀小路
八坂の塔1
八坂の塔1
祇園茶屋街
祇園茶屋街
二年坂1
二年坂1
八坂の塔2
八坂の塔2
人力車の走る坂道
人力車の走る坂道
二年坂2
二年坂2