11.新町宿(群馬県高崎市) JR高崎線新町駅より徒歩4分
虚空蔵橋 F4
青春18キップは有効期間があるので、松井田の2日後に新町に行きました。目標は新町宿の西のはずれ温井川に架かる虚空蔵橋でした。中山道弁天橋の一つ下流の橋ですが、広重が描いた新町宿はこの虚空蔵橋ではないかという説があるからです。それはともかくこの日の虚空蔵橋は桜と川岸の菜の花が大変綺麗でした。画像の遠景に見えるのは、中山道の家並みです。非常に暖かい日でしたが何故かこの日から風邪を引き、初めて買った青春18キップは結局使い切れませんでした。
於菊稲荷 22X29cm
新町宿の中ほどにある於菊稲荷神社です。旅籠大黒屋の飯盛女お菊に因む逸話からこの名がついたとか。お菊が病気になり、お稲荷様にすがりやがて病が癒えた後も境内に住み毎日お参りをして一生を終えたという言伝えがあるそうです。この画像の後方にも大小の赤い鳥居が連なり、入り口の石の鳥居を入れて41もありました。春の例祭に備えて鳥居も塗りなおされたばかりのようでした。遊女に因む神社が今も手厚く祀られていることに人々の温かい人情を感じました。
12.倉賀野宿(群馬県高崎市倉賀野町) JR高崎線倉賀野駅より徒歩5分
倉賀野町追分1 4F
倉賀野町の東側に位置する閻魔堂です。ここが日光例幣使街道と中山道の追分(分岐点)です。この絵の左側が例幣使街道、右側が中山道です。閻魔堂の隣には常夜灯と「是より右江戸道、左日光道」と刻まれた道標が残っています
倉賀野町追分2 30X42cm
閻魔堂の後方、日光例幣使街道から中山道側を見た景色です。自動車の通行がないとき例幣使道の真ん中から撮った写真を基に描きました。ボール紙にダーマトグラフで下書きしました。
脇本陣跡 30X42cm
旧中仙道で今も往時の面影を残しているのは倉賀野から西だと言われています。ガイドマップを頼りに、最初に来たのがここ脇本陣の須賀家です。現在は人は住んでいないそうですが、右側の建物などはかなり傷んでいるようでした。通りの向かい側に丁度良い日陰を見つけて、ボールj紙にはしり描きしました。
13.高崎宿(群馬県高崎市) JR長野・上越新幹線、高崎線高崎駅より徒歩8分
高崎城跡 F4
高崎城跡に残る東門と乾櫓です。東門と乾櫓は廃城時に民間に払い下げられ、昭和55年に買い戻して移築したそうです。東門は民家の門として使用していたため高さを低くし、馬に乗っては通れない高さになっています。明治時代に陸軍の基地や練兵場にするため壊された城が多かったそうですが、高崎城もその一つです。国策とはいえ何とも勿体無いことをしたものです。高崎は中山道などの宿場町として、また江戸時代は高崎藩城下町として栄えた歴史があります。現在は上越、信越方面への玄関口のイメージがありますが、通過するばかりで降りたことがありませんでした。高崎駅西口からここ城跡公園あたりまで道路も建物も大都市の風格が感じられます。
中央銀座通り F4
中山道を西に向かって歩いていると左に中央銀座通りがありました。車も通る大きなアーケード街です。唐草模様をあしらった金色の看板、けばけばしい風俗店、古い木造の割烹料理屋など新旧の店が雑然と並んでいます。連休中なのに長いアーケード街は、開店している店もまばらで人通りも少なくどことなく活気がありません。